【ポンポコ製菓顛末記】 #57 組織オンチ
会社に入ると否が応でも組織に入れられる。どんな小人数でも3人よれば立派な組織だ。
ランボー
2000年初頭、グローバリズムの流れで、国内企業も海外進出、M&Aブームだった。”えーかっこしー”で見栄っ張りのポンポコ製菓の会長もこの新しい経営をやりたくてしょうがない。しかし拙い経営能力で形だけ実行しても失敗するだけだ。その顛末は#28,29,30でご紹介した。本社で檄を飛ばすだけのトップは文句を言っているだけなので良いが、実際現場で実行する部下はたまらない。特にM&Aの場合、買収先企業の社員心情を充分ケアしなければならないからだ。
ある小売中小企業のM&A案件をファンドから持ち込まれた。どうしても買いたくてしょうがなかったので、ファンドに足元を見られて法外な買収額を提示されたが、とにかく買収した。しかし当然ながら会社を買えば済むわけではない。
そこから当社グループの中で事業を継続するのだから、すべてのビジネスの機能を点検、整理、練り直す。ある意味あらたに会社を起こすのと変わらない。いや、相手企業の事情を考慮するのでむしろ新規事業より面倒かもしれない。従って通常買収先企業の併合にはチームで乗り込む。生産、企画、販売、管理といった会社機能に応じた担当者、専門家を送り込むのだ。
ところが人事部が派遣したのは、なんと当該子会社の社長一人であった。後は社長自らが相手企業の社員を教育するなり、不足ならば採用するなり、自身の裁量でやりなさいというのだ。まるでランボーのように敵地に単身送り込まれた。いや、抜擢された社長はこれまで本社の管理畑の課長で、経営などしたことが無いズブの素人なので、ランボー以下である。冷たいというか、何も知らないというか、人事部門の見識の無さは驚愕であった。
当該社長がある時競合他社と懇談した時、「〇〇さん、大変ですね。何人のチームで派遣されたのですか?」と聞かれた。彼は当然「いや、私1人です。」と答えた。すると競合社は「え~っ、ご冗談を!!」と信じない。「いや、本当に1人なんです」と当該社長が応えると、相手は悪いことを聞いてしまったとバツが悪そうに「それはお気の毒に」と場が白けてしまったそうだ。それくらい異常なことであった。
これは仕事を組織でなくヒト単位で考える思考の表れである。日本企業の経営にありがちな指向である。
それって、部長もできなかったんですよね?
私が定年となり、後任部長に引き継ぐ段階となった。私はこれまでの職歴を棚卸し、出来たこと、出来なかったことを整理した。当然、力不足で組織としてあるべき姿に及ばなかったことも多々あった。しかし会社の仕事は続く。それこそ持続的成長だ。為すべきことは代が変わっても引き続きやらなければならない。
それを後任部長に丁寧に説明した。すると後任部長は、やや憮然として「それって、部長(私)もできなかったんですよね?」と聞き返した。後任部長としては「自分が出来なかったことを何故私に押し付けるのですか?」と言いたげであった。
これこそ、仕事、組織をヒト単位で考えている証拠である。組織というものを抽象化、客観視できず、上司と部下という人の集まりで捉えている。もちろん見た目、現実的にはその通りだが、組織というものは誰々さんだから出来る、誰々さんならば出来ないというものではない、すべきではない。そのような属人的な組織では当該者がいる間は良いが、いなくなると一気に弱体化する。
これも日本の企業、組織にありがちな体である。
タテ社会
日本企業に属人的組織が多いのは珍しいことではない。日本はどちらかというとダテ社会。この辺りは中根千枝著『タテ社会の人間関係』に詳しいので紹介する。
「どの社会にもヨコの関係もあるし、タテの関係はある。各々良い面も悪い面もある。しかしタテの関係が根強く出るのは、やはり日本の特徴で、直近の数々の不幸な事態はタテ社会の悪い部分が出ている。」という。
そもそも学校を出て企業に就職する時、日本はどちらかというと就職よりも入社という。各社4月に「入社式」を行う。「就職式」とは言わない。それは日本は、「人に仕事を当てはめる」メンバーシップ型の雇用システムを採用している珍しい国だからだ。諸外国は「仕事に人を当てはめる」ジョブ型が多い。
古来から人類は集団生活を行ってきたが、その集団の構成要因の原理の第一条件を「資格」、「場」どちらにするかで異なる。前者は個人の属性基準、後者は資格の相違を問わず一定の枠によって構成する。西欧・インドは「資格」、日本は非常に「場」が強い。日本の「場」はイエ(家)。中世は一族郎党、近代は企業集団・業界となった。それがタテ社会だ。
タテ社会の象徴は親分・子分、官僚組織。ヨコ社会はカースト、階級だ。
日本のリーダーは統率でなく、折衝、調整力、集団構成員を気持ちよく動かすことが望まれる。 組織がしっかりしていれば成果は組織(みんな)の力。日本のリーダーはある意味バカでもよく、逆に能力があると疎まれ、むしろ理解力・包容力が望まれる。それは組織の機能がしっかりと出来ていて運用さえすればよいからだ。
日本政府が典型で自民党の大臣が派閥の持ち回りで順番に就任しても官僚システムが出来上がっているので事足りる。酷い場合。デジタル相のように当の大臣が「俺はパソコンはいじらん」と開き直る始末だ。
高度成長期のように、組織のやることがしっかりと出来ていて、社員はそれをキッチリ運用していれば間違いない時代は日本式メンバーシップ型は効率よい。しかし昨今のように時代が大きく変わり制度やシステムを変えなければいけない時は、この制度、そして日本的リーダーは塩梅悪い。
どうしてよいか解らないからだ。
そして組織、法人を客観視できない、法人の公的資産も私的資産もごっちゃになって、様々な不具合、不祥事が生じる。中小企業の社長が典型だ。
ジャニー喜多川も権力を盾に法人資産、ブランド力、業界内の影響力をジャニーズ事務所法人として行使し犯罪行為を繰り返していた。公園で夜な夜な個人的に繰り返したのとは意味が違う。
昨今、終身雇用廃止、ジョブ型採用と日本的制度の見直しが社会を賑わしている。しかし、日本の制度は現代そして今後も見直すべき点は多々ある。しかし、単なる報酬や能力だけでなく、正当な契約で雇用が確保されるという姿は望ましいと思う。安定的基盤が担保されているというのは、精神衛生上好ましい。だからこれまでの「なあなあ」や「こびへつらう」のが認められるのではなく、仕事や成果に対する緊張感によって少し厳しさを入れるのがちょうどよいのではないか。もともと民度・文化・歴史が異なる西欧をマネして成果主義だ、効率だと安易に求めるこの20年の風潮はやりすぎだ。
かの個人事業で成功したコピーライターの糸井重里氏が述べている。氏は個人事業だけでなく会社も起こし組織の仕事も経験した。
「仕事の楽しみの一つは、できなかったことができるようになること。何事も楽しさというのは、その過程にこそある。働くということは、結局他者と共に生きることなのだと、会社をやってしみじみ実感しています。仕事の根源的な喜びは、できないことができるようになって、それを人に認めてもらうこと。自分がより尊敬できる人に認められた方がうれしいでしょう。そしたら、ますます仕事が楽しくなります。周りから「いいやつだ」と言われる人になってください。いい生き方をしていれば、きっといつかいい仕事ができるようになると思いますよ。「やさしく、つよく、おもしろく。」というものがあるんですけど、この順番が大切なんですよね。「つよく」の前に「やさしく」あらなければならない」
そう、「つよく」の前に「やさしく」あらなければならない、のです。