【ポンポコ製菓顛末記】 #44 お客様は神様か
顧客のニーズ・欲望にマーケティングとテクノロジーの発展で世界中が応えた結果、売って、買って、捨てて、また買ってと、売り手も買い手もラットの如く走り続ける事態になってしまった。
しかしコロナでそんな世界はおかしいと、皆、気付いたはずだ。
割って差し上げます
#27でタラバガニのようなロボットがビスケットの1枚1枚の向きを直す新鋭工場の設備を紹介した。向きが上を向いていようが下を向いていようが顧客にとってどちらでも良いような気がするが、生産部門は悦に入っていた。高い設備なので当然コストはかかっている。しかし流通商品はなかなか値上げできないので価格には付加していない。その分利益が減っている。
同じ設備の別のビスケットでは割れてしまうトラブルが発生した。いくら検証しても直らない。顧客からもクレームが頻発した。営業部門は治らないならしばらく発売を控えたらどうかとまで言い出した。品質には問題ないが確かにみっともない。どちらでもいいじゃないかと無視できる問題でもない。
対策会議で私は「治らないならば予め食べやすいように割って差し上げますとコメントしたらどうか」と皮肉を言った。そうすると関係者はホッとしたように「それはいい」「そういう見方もあるんだ。さすがですね!」と言われてしまった。冗談が通じたのかどうか解らずじまいだった。
お客さまは神様です
商売の基本のマーケティングは時代と共に変遷してきた。60年代の当初は売り手が考える商品を安く大量に提供する高度成長時代、成熟市場となった80年代は買い手のニーズに応える顧客起点時代、2000年代は売り手は商品価値提供だけでなく社会的責任を果たす時代、そして2010年以降はさらに顧客の精神的欲求を満たしファンになってもらうサービスを売り手は求められるようになった。
しかし理論は発展しているが現実は何とか売らんかなということで企業は顧客のニーズにこれでもか、これでもかと一生懸命応えることに終始しているとしか思えない。売り手は安売りで身を削る一方だ。
昭和の時代、三波春夫という演歌歌手の『お客さまは神様です』というフレーズが流行ったが、まさしくそのままだ。まして社会的責任、地球環境を守るという志向は欲が勝ってお寒い限りだ。
端的な例は宅急便である。そもそも個人宅に個別荷物を安く早く届けるだけでも画期的で、最初に始めたヤマト宅急便は英断であった。しかしその後顧客の要求はエスカレートし、物流業者の労働環境は劣悪となってついに行政のメスが入ることとなった。2024年トラックドライバーの年間残業時間上限を960時間とするというのだ。一般は720時間なのでそれでもまだ酷い。私は一度年間残業700時間という経験をしたが心身ともにかなりつらいものだった。
にも拘らず世間はこれにより時間指定や再配達が有料になり、到着まで日数がかかるようになるのではないかとピリピリしている。
そもそも時間指定や再配達がタダ、置き配やポスト投函を回避というのも過剰サービスだろう。
読者はアメリカ映画で新聞を朝道路から放り投げているシーンを見たことがあると思う。アメリカはいちいち朝刊をポストなんかに入れてくれない。なんと宅急便も同じらしい。荷物を道路からぶん投げるらしい。苦情はもちろん来ることもある。しかしその時は丁重に対応すればよいという考えらしい。来ないほうがはるかに多いので合理的だ。置き配の盗難リスクも同様だ。盗難されたら、そこで新品を配送したらいい。盗難されないほうがはるかに多いので手間もコストも省ける。極めてアメリカらしい合理的な考えだ。
翻って日本では至れる尽くせりのサービス、しかもタダが当たり前という風潮だ。合理的にこれらを冷静に見直す機会はゴマンとあると思う。
「VALUE for COST」 そもそも価値、サービスとはコスト、すなわち価格に反映されるべきものだ。そのサービス、価値は有料になっても顧客は本当に必要なのか。レストランの水やお茶のように、タダだから、安いからもらっているだけではないか。
消費者アンケートを取るとおそらく必要だという回答が多いだろう。しかし顧客の意識ほどあてにならないものはない。顧客の(コトバの)希望に沿うだけではダメなのだ。何故ならほとんど深く意識していないからだ。アンケートどおりに応えて失敗した例はかつてのニッサンBE1というクルマのようにたくさんある。
経営学者のジェラルド・ザルトマンは著書「心脳マーケティング」で、人間の心(mind)、脳(brain)、体(body)、社会(society)といった重要な要素は相互関連しあっていて、自ら意識して考え行動しているのはわずか5%、残り95%は無意識だという。
危機的地球環境
今や地球環境は壊滅的状況にきている。読者はビジネス用語で21世紀はESGが必須というのをよく聞くことと思う。ESGとはEnvironment(環境)、Social(社会)、Governance(企業統治)のことでこれらを念頭に置いた経営・事業活動が必要だということだ。ビッグモータース、ジャニーズはじめ様々な不祥事が糾弾されているのはこの中のSとGの流れだ。とりわけ環境問題のEは深刻だ。
環境問題とは地球が本来持つ「資源の再生速度」と「汚染の浄化速度」の2つのキャパシティを人類の活動が超えてしまっていることが基本原因だ。要は自然資源を使い過ぎ、捨てすぎということだ。そのため地球への負荷が増大し、温暖化や異常気象の遠因になっているというのだ。
世界人口が20億人から70億人になっても何故成り立っているか。何故旬ではない野菜が1年中食べられるのか、見た目の良い真っ直ぐなキュウリが何故食べられるか 回転すしで何故見た目の良い寿司が100円で食べられるのか。もとはと言えば、皆、自然界の生物だが人工的に手を加えないとありえない。負荷が無い筈はない。
人間の欲に応え、コスパ、タイパを叶えた結果、乱獲と科学の発展による農業工場、家畜工場の隆盛により、資源の自然バランスを圧倒的に超えてしまった。
上図やや古い資料だが、資源の供給と汚染の浄化を地球本来の能力に任せるとどれくらい地球が必要かを表したものだ。もし世界全体が日本並みの生活を謳歌した場合、地球が2.3個必要だという。アメリカに至っては3.9個。途上国を入れた世界全体の現状は1.5個で既にパンクしている。自然のサイクルに戻すには中国並み生活レベルに戻さなければならないということだ。世界の、特に先進国の心地よい生活が原因だ。
これからのマーケティング
本当の顧客価値とは顧客の要望のいいなりではない。もちろん企業の利益ファーストでもない。真の顧客の幸せを提供する。親身になって自分毎になって価値提供をする。時に会社の利益相反になっても顧客や社会の本当の幸せを第一に考える。そういうものではないだろうか。
大人のおむつを提供するユニチャームの事業方針は自立した排泄が出来るようにお手伝いすることという。人間としては排泄が自立できないのはつらいことだ。だからそのお手伝いしますというのだ。もしできなくなったら当社の商品(おむつ)を提供しますという。
かつてのマスターカードのCMでもうたっていた。「人生にはオカネに代えられない価値が沢山ある。豊かな生活をしましょう。オカネで買える価値はマスターカードがお手伝いします」
いずれも自社のサービスより顧客の幸せを第1に捉える。自社は一歩引いてお手伝いしますというスタンスだ。
そこには利益ファーストという企業のエゴではなく、何を提供すれば顧客。社会が幸せになるかという真の提案型である。マーケティング黎明期の企業の都合で考える提案ではなく、顧客も社会もよくよく考えた新しい提案型であろう。
スープストックのDNAは、「顧客のニーズに応えること」ではなく、企業理念である「世の中の体温をあげる」にあるという。まさしく世間良しのスタンスだ。
ある意味競合を意識するわけでもない。かつてホンダの創成期はトヨタ、ニッサンの後塵を配していた。企画担当者は自車の開発提案を創業者本田宗一郎に提案した。曰く「ここはターゲットのトヨタにはありません。ここはトヨタが足りないところです。ここはトヨタの・・・・」と話し続けたところで宗一郎は提案者の説明を制した。「それってさぁ、トヨタにやってもらえばいいんじゃないか? ウチはトヨタにもニッサンにも無い、お客様がワクワクするクルマを作ろうよ!」そして日本のBMWと言われるような若者がワクワクするクルマを提供した。
人間の本当の幸せ、そして、地球環境を考える、というと恐らくそんな大それたことと皆さんは引いてしまうだろう。
また、マーケティングと聞くと、ビジネスを成功させる方程式のように思われるかもしれない。しかし、じつは人の心理や行動を解き明かす学問だという。
であれば人の特徴、価値観、考え方、行動などを自分毎、他人の想いやりに沿って利己、利他をバランスよくするところにこれからのマーケティングがあるはずだ。
それには現状の会社や組織や仕事をひとまず横において、この商品・サービス・行動は自分だったらどう思うか、本当に幸せか、うれしいか、いやではないか、不愉快ではないか、ひょっとして無くても誰かが助かるかもしれない。
そんなことを真剣に問うところから始めては如何か?
・売り手は、売らんかなではなく顧客の幸せを考えて
・買い手は、神様ではない やってもらって当たり前という意識は控えて
・世間は、売り手も買い手も地球環境の負荷を念頭において ムダではないか過剰ではないか負荷が大きすぎないか
そういう意識で日頃の仕事、商売、生活を見直す小さな一歩から始められる筈だ。
ちなみにポンポコ製菓の割れビスケットは最近割れ欠けのままお徳用で売り始めたそうだ。これまでの廃棄処分が商売として成り立つようになった。ただ捨てるよりよっぽど良い。まさしく『三方良し』だ。