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【ポンポコ製菓顛末記】                   #24 アール・ド・ヴィーヴル

 全てを経済、法の秩序だけで理解、判断しようとすることへの反省、何でも成果・評価・コスパで捉えることヘのアンチテーゼ。そんな声を昨今はよく聞くようになった。便利になったけど何かギスギスしている。
 昔はもっと緩いというか、活き活きとしていた。そう、当たり前と思っている今が人類にとってむしろ異常なのだ。
 
 

あ~、あれ、オレんちの山だよ


 
 人間の幸せって何だろうとか、もっとのんびり生きようとか言う声は、実は前から出ては消え、消えては出てきた。
 「気楽に行こうよ、俺たちは」というモービル石油のCMが流れたのは昭和の高度成長期真っただ中の1971年だ。その前の1969年は「オー、モーレッツ」というCMが一世を風靡し、「モーレツ社員」というのが流行った。またその後にも「24時間戦えますか」というブラック企業の原点みたいな三共のCMが1988年に流行った。
 かように働いては休みたい、いや、もっと働けというサイクルを繰り返して来た。さもありなん、資本主義は労働者を搾取して資本家が富んで格差を生む宿命だからだ。しかし、それはそもそも人間の本性には合わないのだと思う。それを皮肉る有名なエピソードがある。
 
 南太平洋の小島で商社マンか何かの先進国ビジネスマンがあくせく働いていた。それを横で見ている現地の人々がヘラヘラ笑いながらビジネスマンに尋ねた。「アンタ、何のために朝から晩までそんなにあくせく働いているんだい?」するとビジネスマンはバカにしたような目つきで答えた。「一生懸命働いて、稼いで、早くリタイアするためさ。そしたら、美味しいものを食べて一日中好きなことして暮らせる。あんたたちみたいにグダグダしていたら一生そんな暮らしは出来ないよ!!」すると現地の人は皆大笑いしてビジネスマンに言った。「別にあくせく働かなくたって、俺たち今でも毎日美味しいものを食べて、好きなことして暮らしているヨ。アンタ、可哀そうだね!!」言われたビジネスマンはキョトンとしてしまった。
 そう、彼らには大きな家やクルマ、クルーザーはないが、自然環境に充分充足して幸せな人生を送っている。そんな人工的なモノやカネに何の価値も見出していない。
 
 ポンポコ製菓にも似たような話がある。
 
 当社は地方にもいくつかの工場があり地元採用者が多い。歴史がある工場もあるので、地元名士の家族の社員もいる。私はある工場に出張し、昼休みに工場から見える雄大な景色を見ながらのんびりしていた。 見渡す限りの山々をみながら担当者に何という山か聞くと、「あ~、あれは〇〇山で、みんなオレんちの山だよ」とサラッと言われた。会議で細かい説明をしている自分が、すごく小さく思えた。
 
 そんな大きな話ではなくても優雅なお話しがある。別の地方工場に出張した時のことだ。当時私は経営企画部長で経営改革を推進中であった。生産改革を実行するために現場の組長の生の声をヒアリングに行った。本社から経営企画部長が質問に来るというだけで現場としては怪訝に思うであろうと思った。場を和ませるために雑談から会議を始めた。各人の自己紹介から始まり趣味や人生観なども話してもらった。すると彼らは活き活きと就業後や普段の生活を流暢に話し、止まらなくなった。結果、予定時間の9割を雑談で使い、本題は1割程度しか出来なかった。しかし、本社で毎日毎日会議、議論、事務を繰り返す私と、まるで違う仕事観、生活であった。
 私の価値観の変化のきっかけである。仕事を終えたら早く家に帰って、家族と過ごす。「24時間戦えますか」とどちらが人間らしいか。今のアフターコロナに通ずる面がある。
 
 そしてこういった雑談、温かい雰囲気が人間関係や仕事のペースを潤滑にするのだ。実はそういった配慮を日本企業は大事にしてきた。

 ただやりすぎも多々あった。
ポンポコ製菓の関西の主力工場は駅の真ん前にあった。事業整理のため施設を更地にし、駅前にサッカーが出来るくらいの広大な空き地が出来てしまった。その有効利用ということで、従業員用の100ヤードほどのゴルフ・アプローチ練習場を現場の判断で作った。総じて工場従業員はゴルフが好きで、皆上手い。
空地だから別に構わないのだが、その練習を昼休み時も使っていた。駅の真ん前のため、近所の人や通行人から真っ昼間にアプローチ練習しているのが丸見えである。現代のようにSNSが無いから投稿の手段は限られていたので特にご指摘はなかったが、如何にものんきな会社のようでみっともない。もちろん昼休みだから何をしても良いのだが、就業時間中の練習は控えるようにお願いした。
 
 

アール・ド・ヴィーヴル


 
 コロナ禍が始まった2020の暮れにPWCコンサルティングが「全国消費者実態・幸福度調査2020」を発表した。全国の18~79歳の5千人に消費や嗜好性のよりどころや人生の満足度の価値観について調査した。すると幸福度に関するキーワードに「慎ましい幸福」というのが浮かび上がったそうだ。
 経済拡大、成長期は、昇給や出世、高級車や家の購入などの地位財を得ることが幸せの典型だった。成熟社会に入った現在は地位財の対局の非地位財による幸せがクローズアップされる。それは目の前にある、いわゆる小さな幸せである。地位財と異なり形は無く、他人と比較したり競ったりしない。つまり「心」の豊かさのようなものだ。何を幸せととらえるかは人によるため多様性があり典型は捉えづらい。従って地位財は幸福感が短期的で優劣が解りやすいが、非地位財の幸せは長く続き、他人との比較はできない。冒頭の南太平洋の現地人やポンポコ製菓の地方工場従業員の価値観、生き様に相通づるものがある。
 
 年功序列の出世や昇給の仕組みがほころびつつある現在、地位財が得難くなって一見幸せが遠のいているように見えるが、それは違うと慶応大の前野隆司教授は言う。曰く「幸福学の知見が積み上がり、人類史上で一番幸せになれる時代が来た」と。
 確かに人類が生まれてからずっと飢えと生存の危険に侵されてきたが、科学が発展し、産業革命以降近代文明が起こり、曲がりなりにも多くの人の衣食住は満たされた。しかしその結果、心の充足の不足に皆が気付き始め、求めるようになった。
 そんな生き様、生活信条は、実はフランスに昔からあった。「アール・ド・ヴィーヴル」。英語では「art of lives」 国よりも産業社会よりも自分自身の人生と人々の関わりを大事にする。日常の偶然の発見や新たな出逢いなどを最大限に活かし、一人一人が豊かさを楽しむライフスタイルだ。
 特に日本は、皆いい子にしていれば幸せになれると我慢して、効率ばかりを追求した結果、「無難に世間を渡る処世術に価値がおかれる」寂しい日本人になってしまった。そんな人生観・価値観よりもよっぽどクールで前向きだと思う。

 是非、見習ってほしい。



 

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