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【映画感想】『オークション〜盗まれたエゴン・シーレ』は究極の“平均点”映画

★★★
すごい。本当にある意味で超素晴らしい大傑作だと思う。この映画では、イライラしすぎることも、笑いすぎることも、質の低さにガッカリすることも、感動のあまり涙することも、きっとない。淡々といつのまにかほぼ90分の上映時間が終わっていて、読後感としては悪くない、むしろある種の心地よさに包まれる。なんとなく暖かい気持ちになって、なんとなく「映画を観たなあ」とさえ感じる。

が、ではどこが良かったのかというとよくわからない。
物語の展開もわりと平均的で予想を超えてこないし、キャラクターの描写や深みも平均的で記憶に残るほどではなくて、演出やカメラワークも平均的でビックリするようなことはない。つまり平均的な既視感のカタマリであるはずなのに、”なんかいい映画”だという印象を受ける。

これって本当にすごいことだと思うんです。“平均的”ということが必ずしも悪い意味でないことを、あるいはおそらく、“平均的”ということはかなり悪くない意味であることを、この映画は証明したような気がした。

あらすじ

始まりは、競売人に届けられた一通の手紙

パリのオークション・ハウスで働く有能な競売人(オークショニア)、アンドレ・マッソンは、エゴン・シーレと思われる絵画の鑑定依頼を受ける。シーレほどの著名な作家の絵画はここ30年程、市場に出ていない。当初は贋作と疑ったアンドレだが、念のため、元妻で相棒のベルティナと共に、絵が見つかったフランス東部の工業都市ミュルーズを訪れる。絵があるのは化学工場で夜勤労働者として働く青年マルタンが父亡き後、母親とふたりで暮らす家だった。現物を見た2人は驚き、笑い出す。それは間違いなくシーレの傑作だったのだ。思いがけなく見つかったエゴン・シーレの絵画を巡って、さまざまな思惑を秘めたドラマが動き出す…

『オークション〜盗まれたエゴン・シーレ』公式HPより

作品情報

『オークション 〜盗まれたエゴン・シーレ』(原題: Le tableau volé)
監督・脚本:パスカル・ボニゼール
出演:アレックス・リュッツ, レア・ドリュッケール, ルイーズ・シュヴィヨットィ, アルカディ・ラデフ ほか
上映時間:91分
日本公開:2025年1月10日

以下、ネタバレを含みます。

▶︎100点満点の90分映画

なんだろう。もしとても優秀なAIに「90分尺の面白い映画を作ってください」とお願いしたとして、無限に生成されてくるゴミ映画のなかにほんのわずか“面白い映画”があるとしたら、そのうちの1つがこの『オークション〜盗まれたエゴン・シーレ』である。という感じがすごい。

某御大がいつだったかデヴィッド・ロウリーを賞賛する際に、「最近はもう映画は90分でいいのではないかと思う」といった趣旨のわけわからんことを宣っていて(直後にデヴィッド・ロウリーが尺130分の『グリーン・ナイト』を撮ったにも関わらず絶賛していたというオチまで用意して)、僕個人としては「そんなわけあるかあ、頻尿じいさんが」と愛を込めて思っていたのだけれど、この映画は「90分でいいのでは」と思わせる感じがあった。
※念のため言っておくと、「90分がいい」ではない。

『オークション〜盗まれたエゴン・シーレ』にはほとんど無駄がない。幻の絵画が見つかったという心踊る導入から、複雑な事情を抱えた男女の人間ドラマ(決して陰鬱になりすぎることはない)、起承転結の“転”では詐欺師が登場しハラハラするけれど、わりとすぐさま解決されスカッと展開に駆け抜けるなどなど。とにかくイライラすることがない。観客が予想した内容がちゃんと綺麗に回収されていくという、これほどまでにお行儀のいい映画を観たのはいつぶりだろうかとさえ思う。

フルモテルモ(YouTube)より

だからもし、「あ〜なんか最近調子でないし、映画でも観るかあ。でも尺が長いのは嫌だし、変にハラハラとかドキドキするのも疲れちゃう。気軽に面白くて、なんとなく気分がスッキリする作品とかないのかなあ」と思っている人がいたら、完全にこの作品を観るべきだと思う。観客がまったく傷つかない“フランス紳士淑女”の映画に出会えると思う。

フルモテルモ(YouTube)より

▶︎最高の表情

とまあ、本当に平均的な素晴らしい映画なのだけど、1つだけハッとさせられる瞬間があった。それは、エゴン・シーレによる幻の絵画を偶然にも所有していた青年マルタンが見せる表情である。

フルモテルモ(YouTube)より

公式サイトによるとマルタンは「30歳の純朴な工員。化学工場で夜勤労働者として働いている」青年であり、劇中でも本当に心の綺麗な人間として描かれる。幻の、かつ人生を変えてしまうほどの価値をもつエゴン・シーレの絵画について、マルタンは早々に権利を放棄し喜んで遺族に返すことを提案する。

そんなマルタンに納得できない友人がいる。名前のわからない彼は、みすみす富を手放そうとするマルタンが理解できず、なんとかして説得しようと、絵画を見るために自宅へと押し寄せてくる、最終的には取っ組み合いの喧嘩にまで発展してしまうのだが、その友人を迎え入れるマルタンの表情がすごいのだ。瞬きもせず、表情を変えることもなく、言葉を発することもない。ただひたすら友人の顔を見つめ続けるという、“静”でありながら強烈に“動”の表情がそこにあった。

マルタンの気持ちを想像してみよう。欲のない彼はすでに絵画やそれによって得られる富は諦めており、そこになんの抵抗もない。しかし欲深い友人は、自分自身は絵画の所有者でもなんでもないにも関わらず、マルタンの選択に異議を申し立て続けている。マルタンがこのシーンで見せる恐ろしいほどにまっすぐな瞳は、「もしかしたら自分も少しは“おこぼれ”に預かれるかもしれない」という友人の下心を残酷なまでに捉えて離さない。その瞳だけで、その眼差しだけで、空気を張り詰めさせる。本当に見事な演技だったと思う。

フルモテルモ(YouTube)より


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