どこまで自分に正直になれるだろう。あの日、選ばれなかった君へ
4月1日。この日くらいはあえて嘘をつかずに、見せたくないダサい過去をさらけ出してみようとおもう。
「あの日、選ばれなかった君へ」
著者:阿部広太郎
本のタイトルだけで、締め付けられるような感覚になるのはなぜだ。「選んでもらえない過去」を歩んできたから……だろうか。あぁ、このタイトルに思い出したくもない昔を鮮明に思い出してしまった。
小学校の教室。算数の時間。自信がある答えを発表したくて手をあげたのに、先生に指名してもらえなかった。
友だちと野球をするとき。へたすぎてどちらのチームも私を取りたがらなかった。
「はい、ペアになってー」と先生が教室で指令を出す。「じゃあ……ヤスくんはそこに入って3人で」とトリオにさせられた。ペアですらない。
文化祭で主役を本当はやりたかったのに、臆病で見栄えのよくない私は手をあげられなかった。主役はクラスの陽気でスポーツができる男の子が選ばれた。私は主役のお父さん役だった。ちなみに幼稚園で初めてもらった役は、白雪姫の「鏡」だ。
好きな女の子がいたのに、友だちもそうだとわかれば応援側にまわった。また違う人を好きになっても、その子が他の男子を好きだとわかれば想いを告げることなく即撤退した。
どれだけ女性を好きになっても、ふられっぱなしだった。星の数ほど恋をして、波の数ほど泣いてきた。
偶然に作家と共著ができて、「よし、これからも本を出すぞ!」と真剣に原稿を書いても、どこにもだれにも微塵も見向きもされなかった。
月額制の文章オンラインサロンを運営しはじめたら、毎月1日は出会いと別れの連続だ。
どうせ、自分は選んでもらえない。がんばっても無駄な努力だ。才能には勝てないし、環境が恵まれた人だけ、既に有名な人だけがうまくいく世の中なんだ。
私の話を書いたけれど、みなさんにも似たような「選ばれなかった経験」はあるんじゃないだろうか。
ずっと選ばれ続けた人はいない。
選ばれなかった経験はかならず誰しももっているんだ。
選ばれたのを勝ち組、選ばれないのを負け組と分類する人もいる。
負けっぱなしの人生で、いつしか「どうせやっても無駄」と思うようになってしまった。
そこに隠れているのは、「自分へのパワハラ」
『あの日、選ばれなかった君へ』の第4章に出てきた言葉だ。
心の中の理想の自分が現実の自分に対してパワハラをしてくる。やめとけ。お前には無理だ。どうせ能力もないし、根性もないだろ?悔しくてもブログに書き綴るだけじゃないのか?
自分へのパワハラは見えにくい。だからこそ気をつけないと気付かない。
選ばれない経験がパワハラ自分を増長させていく。
ちがう。ただ、選ばれなかっただけなんだよ。早く教えてあげたかった。それは私たちそのものを否定するものじゃない。選ばれなければ出会えていなかった未来だってたくさんあるんだ。
そう、選ばれなかった未来が、今だから。
まったく逆の見方もできる。
自ら選んできた未来が、今だ。
あの日、選ばれなかったからこそ、より良い未来を選択しつづけてきたかもしれない。
自分が選んできた道。自分を信じ、不安で押しつぶされそうでも「まぁ、そんなおれっていいよね」と自分を許し、好きになり、応援する自分でありたくなった。
選択は片方を見れば片方は不正解に見えてしまう。正解なんて自分でつくればいい。今から。これから。
おもいっきりやってみよう。ダサくてももがいてやれることを考えよう。まだ手はある。できることをできる限り、精一杯。
「あの日、選ばれなかった君……だからこそ、こんなにおもしろい人生なんだよ」と。