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『介護の悩み』義父と自分との闘い①

この記事は、現在私が義父の介護をしていての悩みを綴っています。
まぁ、ただの愚痴に聞こえてしまう部分も多々ありますが、お付き合いいただけると幸いです。

この記事を書くにあたっての思いを前回の記事に書いています。
こちらから読んでいただけると嬉しいです。(そうすると意味がわかると思います)

皆さんに読んでほしい、でも読んでほしくない。
そんな私の矛盾した気持ち。

義父が退院してきてからの1年間の出来事を残しておこうと思います。

【現在の義父】


義父は現在

『心臓外科』
『腎臓病内科』
『膠原病(血液・リンパ・感染症)』
『糖尿病内科』
『消化器内科』
『呼吸器内科』
『泌尿器科』

7科の通院をしています。
これだけの数の病気を抱えているということです。
年齢は今年76歳になります。
後期高齢者ということになります。

正直、医師も看護師さんも、他の人にも、これだけの数を受診していると言うと、苦笑いするくらいです。

ここまでいろんな病にかかるまで、あっという間の1年でした。

【緊急手術、大動脈解離】

そもそも義父は一人暮らしをしていました。
義母は主人が大学生の時に病気で亡くなったと聞いています。

私の住む街から実家までは車で1時間くらい。
実家に遊びに行くことも、義父もうちに来て食事をしたりすることもありました。
うちの子供(孫)が義父のことが大好きだったので、みんなで出かけることもありました。
主人には妹がいるのですが、主人も妹も結婚して実家を出てから、義父は一人暮らしになってしまったので、寂しい思いをさせまいと食事に誘ったり、出かけるときに声をかけたりしていました。
ですが、その度に主人は「誘わなくていい」「面倒だからいい」と渋い顔をしていました。
年末年始は必ずうちで過ごし、年明けすぐにみんなで初詣に行くことが毎年恒例でした。夏には海に、花火大会に。冬はクリスマスパーティーを家族、親戚と。そこにはいつも義父がいました。
主人が父親を嫌っていることは分かっていても、私たちが受け入れていると、少しずつ主人も柔軟になり、父親と過ごすことを受け入れるようになりました。

義父は昔から肝臓が悪いと通院していたのは知っていましたが、その他には悪いところはないと70過ぎても元気で、1年1年をいつものように過ごしていくんだろうなと思っていました。

2022年の11月、義父の体調不良で病院を受診したそうです。
そこで大動脈解離と診断され、手術の出来る大きな病院に運ばれ16時間を超える緊急手術でした。医師からは「あと4時間遅かったら死んでいただろう」そう言われたそうです。
その晩は主人や親戚が病院に集まり、手術が終わるのを寝ずに待っていました。

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