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【今年学んだこと】〜エンスージアズムの境地に至るまでの道のり〜

2024年。
6年以上働いていたバイトを辞めた。
1つ目の転職先を2ヶ月で辞めた。
そして2つ目の転職先を3ヶ月で辞めた。
現在、無職。

このままではダメだと思って正社員を目指し、
6年以上働いていたバイト先を辞めた。
そこでは正社員登用がなかったから。

今までぬるま湯に浸かっていた僕にとってかなり勇気のいる選択だった。
この先どうなるか分からない不安。失敗というリスク。
とてつもなく大きな悪魔に立ち向かう気分だった。

そして、案の定、僕はその大きな悪魔に負けた。
転職先の仕事が合わなくて、2ヶ月で辞めた。
辞める時に会社の人に「甘いよ」「そんなんじゃ今後通用しないよ」と
散々言われた。
その通りだと思った。
このままアルバイトだけを続けていくわけにもいかない。
年齢も決して若いとは言えなくなってきた。
周りは出世や結婚をして、ちゃんと自立している。
焦りから早く正社員とならなきゃと思い転職をした。
僕にとって、かなりの挑戦だったが失敗した。

誰かが言った、「心配事の9割は起こらない」
その1割を僕は引いてしまった。
とても運が良いらしい。

やっぱり僕にはいきなり正社員は無理なんだ。
とりあえず、正社員登用のあるバイトをやろう。
ゆっくりやっていこう。

そして新たに見つけたバイト先を
3ヶ月で辞めた。

またもや仕事が合わなかった。
そして、人間関係も合わなかった。

誰かが言った、「心配事の9割は起こらない」
その1割を僕はまた引いてしまった。
とてもとても運が良いらしい。

最初の転職の失敗で心が疲弊していたせいか
物事に対しての感受性が人一倍敏感になっていた。

すれ違う人間の視線。
LINEで自分の発言で会話が止まる。
電話のコール音。

全部がしんどかった。
辛いと叫びたかった。

みんな、ちゃんと仕事をしている中で
職を転々としている自分が情けなくて、
とても惨めに思えた。

こんな自分を他人に曝け出すのは
とてもじゃないけど恥ずかしくてできなかった。

それを打ち明けることができていたら
どれだけ楽になれていただろうか。

これまでの人生、思い返すと挫折ばっかりが頭をよぎる。
夢を諦めたこと、教師にいじめられたこと、鬱になったこと。

「なんのために生まれてきたんだろう」
「なんでここにいるのだろう」と自分に問いかけて
答えが出ず、もがきながら何日も夜を明かした。

いくら涙を流そうが、いくら心臓が痛くなろうが、
いくら呼吸が荒くなろうが、いくら毛が抜けようが現状は変わらない。

現状を変えるには自分が動き続けるしかない。
誰も助けてはくれない。
最近になってそのことに気がついた。

無職になった今、毎朝、近所を散歩し始めた。
小鳥の囀り。車が通り過ぎる音。風の匂い。
道端に落ちている犬のウンチ。
毎日、どこかが変化している。
間違い探しみたいだ。

自炊を始めてみた。
食材を買ってきて、切って、焼いたり、煮たり。
僕の十八番は「豚汁」
料理って、楽しい。

「note」で自分の考えを書き始めた。
僕はこんなことを思っているんだ。
小さなことに目を向けるようになり
見て、聞いて、嗅いで、触って、味わって
そして心で感んじたことを言葉にできるようになった。

今まで以上に自分と向き合うようになった。
自分の心と会話をするようになった。

僕が正社員を目指したのは、周りが正社員で働いているから。
正社員は親を安心させるための唯一の方法だと
勘違いしてしまっていたから。
だから僕もそうしないといけないと思い、焦って行動した。
別に正社員が悪いわけではないし、目指すことも悪いわけではない。
ただそこには自分の心がなかった。
僕は「なぜ正社員になりたいのか」「正社員になってどこを目指すのか」
ということをしっかりと見据えられていなかった。

僕が後悔するいつもの理由がこれだ。
俗に言う「周りに流される」
人と比較して、自分のことを見れていなかった。
これに気づかないと本当に人生が漂流してしまう。

その時は自分で決めたつもりだった。
でも実際は「周りが」「親が」と主語が自分じゃなかった。
全部他人を軸にして、自分で決めることから逃走していた。

人生は1秒1秒が選択。

人生が上手くいかない理由がわかった。
それは人生の選択で「闘争」ではなく「逃走」を選んでいたから。

世間で謳われているタイパや効率、ライフワークバランスなんてのは
今の僕には必要ない。
そんな小手先なことを考える前にまずやるべきことがあるだろう。
自分ととことん向き合って限界に挑む。
1回、2回の失敗で縮こまっている場合じゃない。
自分が思っている以上に、自分の限界は「本当の限界」とは限らない。

”自信”というのは、他人から与えられるものではない。
自分と向き合い、限界に向かって行動し続けることで
やがて自分を信じられるようになり”自信”が身に付く。

そのために不快なことは避けて通らない。
あえてその不快に真っ向から突っ込んでいく。闘争だ。
環境や他人のせいにして不遇の被害者ヅラとはここで決別する。
逆にこれまでの不遇を”燃料”にしていけばいい。
僕ならやれる。なぜなら僕には石油大国並みの”燃料”があるから。

やっと覚悟が決まった。

⚫️最後に⚫️

今更ですが、ウジョーズです🦈笑
少し早いですが、今年を振り返ってみました。

今年はなかなか激動の一年でした。(転職でもメンタル面でも)
その中で、今年は自分に対してイライラすることがとても多くありました。この文章を書いたのも、実は自分に対してのイライラを何かにぶつけたく
なって勢いで書きました 笑

今まで他人に対してイラつくことはあっても、
自分に対してイラつくことはありませんでした。
でもこれは、今まで上手くいかないことを他人や環境のせいにしていたのが、自分のことは自分で決めて、自分で責任を取れるようになってきたからだと思っていて、
だから上手くいかなかったことでグズっている自分に対してイラつく
ようになったんだなと感じています。
この”イラつく”というのは、自分を責めるとかそういう意味ではなくて
「もっと俺ならできるだろう!」とか「こんなことで満足するなよ」みたいな自分を鼓舞する感じのポジティブなイメージのイラつきです。

少し、スピリチュアルな話になりますが、
海外にはエンスージアズム「enthusiasm」という言葉があります。
「情熱や熱意を込める」といった意味なんですが、
語源をギリシャ語の「entheos」(エンテオス)に由来します。
「en」は”内なる”という意味、「theos」はギリシャ神話の”最高神ゼウス”を意味します。
つまり”自分の中に神が宿る”というところからきている言葉で、
まさに今の自分の中に”神”が宿っている感覚があります 笑

今の僕の夢は現状とはかけ離れた場所にあるんですが、
叶えられるイメージしか湧かないんです 笑
謎に自信に満ち溢れているというか、無駄にやる気が溢れていて
元気モリモリで。
皆さんもこんな感覚になったことないですか?笑
今まで自分が経験してきたことが、鎖のように繋がっていたことに
気づく瞬間、点と点が線になる感じ。
今までの経験が全て味方してくれて今後の行動に拍車をかけてくれるような
感覚に今なっています。

まあこの先どうなるかは正直分かりませんが、
温かく見守ってやってください 笑
来年は今年以上に闘争の年にしていきたいと思います。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

#今年学んだこと

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