得られるものの大きさは、継続と努力した時間と気持ちに比例する
最近TwitterやInstagramを頑張っているけど、やればやるだけ、フォロワーは増えるし、いい情報が得られる。
技術を磨くということは?
僕は焼肉店を経営しているが、お肉を商品化するのに技術が必要だ。
ぼくは東京の名店で数ヶ月修行させてもらった。無給でw
だから今はそれとなくお肉のトリミングができるようになった(まだまだだけど)
これは、数をこなし、時間を費やし続けた結果だと思っている。まだ満足はしていない。これからも続ければもっと腕を上げることができると思っている。
それに、見た目で部位もわかるようになったし、柔らかそう、硬そうも見た目でわかるようになった。手の持った感じでなんとなくグラム数もわかるようになった。
筋と脂のちがいも一目瞭然だ。
要するに、時間と数をこなせば問題は解決する
もちろん、最初は全くできず、
「おめーつかえねーな!帰れ!」っと修行先のマスターによく言われたものだ
それでも根気よく続けた。悔しかったから、店が終わってから、野菜をかって包丁の練習を深夜まで続けたし、悔しさの一心で僕は努力したと思う。
最初の段階では誰でもうまくできない。
向き不向き?センス?いや違う
これは、向き不向きやセンスとう問題だろうか?
いや、、全く関係ないと思う。ただ経験が少ないだけ。
向き不向きやセンスはその後の話だ。
向いてる向いてない、センスがある、ないって言うのは、無駄な考えだと思う。
理由は簡単で、対してまだやってもないんだったら、まだわからない。
できないことは恥ずかしいことじゃない。当たり前なこと。
努力して継続しないと出来るようならないのが普通。
もしかしたら、最初からできる自分像みたいなものを思い描いているのかもしれないけど、それは天才だ。
俺らは凡人だから、時間と数をこなし継続することで、自分の理想像に近づける。毎日少しずつ。
何が言いたいかって、肉のカットに、向き不向きや、センスは絶対にない
グリストラップ掃除にセンスも向き不向きもクソもない。やるかやらないかだ。
最初からできないのは当たり前
人間最初からできないことは当たり前で、最初からそれとなくできるものも確かにあるかもしれないけど、それはおそらく、それ程度のことってことだと思ってる。
最初から、うまくできない = 向いてない っていう結果を急ぐのは違うと思っていて
継続してやり続けてから、それは判断するべきこと
ちょっとしかやってないのにできる人なんで、ほぼ皆無で、いてもほんの一握りのはずだ。今できる人は努力して継続して数と時間をこないして、その結果今できるようになっていると思うよ。
今TwitterなどSNSで稼いでいる人や、有名youtuberもお同じはず。
泥臭く見られない動画を継続して頑張って続けてきた結果、今億万長者になってるんだと思う。みえないところでずっと努力してきたはずだ。努力しないで結果がでるわけないから
努力したのに負けたり、失敗したらすげー悔しいし、努力してなくて勝ってもあんまりうれしくないと思うんだわ
なんでも一緒
僕はエンジニア業もやっているけど、
プログラミングも最初からできるやつなんていない
時間を書けて本気で作れるようになりたいって気持ちがあれば徐々にできるようになる
これらは、間違いなく向き不向きセンスではない(多少はあるかもしれない。でも向いてないとしても続ければできる)
最初からできないと、向いてないっという判断をするのは間違いだ
全てにおいてそうなってしまうような気がしてる。
それに、最初からできた薄っぺらいことは、こんなもんかで終わってしまう
自分はただの凡人。だから努力と継続をしないといけない、向き不向きセンスの話はそれからだね
やってみないと、続けないとわかららないことばかり
得られるものの大きさは、継続と努力した時間と気持ちに比例する
自分でイメージする、自分像をものすごい高く見積もりすぎているからこういう判断をしてしまうのかもしれない。
できないことが当たり前で、普通なことなのに、それが許せなかったり、恥ずかしかったりで、向いてないって言う言葉に逃げているのかもしれない
自分像を持つことは大事だけど、それが高い位置にあるせいで頭が固くなるくらいなら必要ないと思ってる
最初からできないことはあたりまえ。凡人である自分を受け入れたらきっと物事がびっくりするぐらい円滑になるはず
自分の思ったこと決めたことに常に疑いを持つ。