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妙な魅力がある失敗作「ワン・フロム・ザ・ハート」
新宿武蔵野館で「ワン・フロム・ザ・ハート」(フランシス・フォード・コッポラ監督)
ほぼ40年ぶりの再見。
この映画が大コケしたために、コッポラは自身が所有していた撮影スタジオを手放さざるを得なくなり、その後の自己破産につながった、といういわくつきの作品。
ほとんどおぼえていなかったので新鮮な気持ちで見ることができた。
(最後の方で主人公が歌を歌うシーンがあって、そのシーンのいたたまれない雰囲気だけはよくおぼえていた)
うーん、確かに良作とは言い難い。
ただ全然ダメというわけではない。
一番問題なのは、登場人物たちに魅力が感じられないこと。
俳優のせいと言うよりはストーリーと演出が悪いと思う。
ハリー・ディーン・スタントン、ナスターシャ・キンスキーといった個性派も今ひとつ魅力が生かし切れていない感じ。
魅力的なのは撮影。
大がかりなセットを活かした自由なカメラの動き、ガラスへの写り込みや、別の場所の出来事を一つの画面に納めるショットなどなど。
なんだか大掛かりな学生映画という感じも。
まだ若いから人間の描き方にはコクがなくて浅いけれど、
「こういうシーン撮ってみたかったんだ」みたいな意欲だけは伝わってくる、という・・・。
でもこれを撮った時、もうコッポラは四十代だったんだよなあ・・・。
フランシス・フォード・コッポラという人は不思議な人で、「ゴッドファーザー」の1作目と2作目を三十代で撮っているけれども、このころが一番老成していたように思える。
「ゴッドファーザーPART2」の次に撮ったのが「地獄の黙示録」で、 撮影中にいろいろ問題があったらしいが、内容的にもかなり破綻した映画だった。
そしてその次がこの「ワン・フロム・ザ・ハート」。
その後も「老練」とか「巨匠」なんていう言葉とは無縁の、良く言えば若々しい、悪く言えばなんだか青臭い映画を撮り続けている。
個人的には1986年の「友よ、風に抱かれて」と、1988年の「タッカー」が好き。
× × × × × ×
少し前にマーティン・スコセッシ監督とフランシス・フォード・コッポラ監督が、いわゆる「マーベル」もの・・・MCUっていうのかな、・・・「アベンジャーズ」とか「アイアンマン」とか・・・の映画を強く批判して話題になったことがあった。
あれに関して、功成り遂げた老大家が、若いイキの良い映画に対してぐちぐちと文句を言っている、という印象を持っている人がいるみたいだが、それは全然違うと思う。
むしろ逆、と言ってもいい。
コッポラはいくつになっても「映画青年」みたいな青臭い監督だし、スコセッシの方は若干「巨匠」っぽい作品を撮ることもあるが、どこか「B級映画好き」を感じさせる、やはり映画青年っぽい監督である。
二人のMCU批判は、どちらかと言うと「B級映画好き」の映画青年からの、コマーシャリズムに支配されて「適当さ」とか「いい加減さ」を失った映画に対する批判、なんじゃないのかな、という気がする。
「ワン・フロム・ザ・ハート」の、「こんなシーン撮ってみたかったんだよ!」って感じの素人っぽさ、はMCUのどんな映画よりも「適当」で「いい加減」で青臭い。
そしてそこには確かに最近のメジャー系の映画には無い、妙に若々しい魅力はあるのだ。