ぽつぽつと拾い読みしている本のこと(その3)「草枕」
いつも手に取りやすいところに置いておいて、出かける時とかにカバンに入れて行き、ぽつぽつと拾い読み(再読)している文庫本の話、3冊目。
「草枕」(夏目漱石)新潮文庫
今さら夏目漱石について説明をするってのもアレだけど、まあ大雑把に説明しておく。
夏目漱石は明治の終わりに生まれ、大正5年に亡くなった日本の小説家。
当時の小説家は二十代でデビューすることが多かったが、漱石が小説を書き始めたのは三十代後半で例外的に遅いデビューだった。
49歳で亡くなっているので、小説家としての活動期間は十年ちょっとと短い。
その作家活動は前期と後期に分けて語られることが多く、前期は「吾輩は猫である」や「草枕」など、いわゆる「普通の小説」からはみ出す部分の多い、ある意味実験的な(変な)作風、それに対して後期は「こころ」に代表されるような「まじめな」「普通の小説」が多い。
前期を評価する人は、前期の作品には文学的な可能性が溢れているのに対し、後期の作品は型にはまってしまっている、みたいなことを言い、
一方後期を評価する人は、深みのある後期の作品と比べると、前期の作品はそこに至るまでの習作にすぎない、みたいなことを言うことが多いようだ。
私はどっちも好きなので、「両方ともいいね」でいいんじゃないかと思うが、電車の中でポツリポツリと拾い読みをするのには前期の作品の方が向いているような気はする。
「草枕」は漱石39歳の時の作品。「吾輩は猫である」「坊ちゃん」に続く三作目になる。
とある画家がとある温泉宿に泊まりに行き、宿やその周辺の人びとと交流するさまが描かれるのだが、とくにストーリーらしいストーリーはない。
画家が芸術論やら社会に対する批判やらをつらつら考えつつ、温泉宿やそこで知り合った人とそんなに深刻ではない話をするだけである。
それが面白い、と思う人は面白いだろうし、面白くない、と思う人は面白くないだろう。
私はとても面白い、と思って、折に触れて読み返している。
文章はなかなか難しくて、
なんて文章に出くわすとちょっとたじろいでしまうが、こういう部分は言葉の調子やリズムを味わえばそれでいい、のではないかと思う。
一方、会話の部分はとても読みやすい。
漱石は落語が好きだったそうだが、会話の部分には落語の影響がかなり感じられる。
ぽつぽつと拾い読みをする、という読み方をするのに向いている本と向いていない本があって、
「巻を措く能わず」とか、
「ページをめくる手が止まらない」
みたいな、ぐいぐいと読ませるような小説はちょっと向いていないように思う。
その点この「草枕」は適当にページを開いてそのあたりを適当に読むのにぴったりである。