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ダルビッシュ有がくれた生きる力Vol.2

「未成年喫煙」騒動でヒルマン監督から激励

 ダルビッシュの心優しい気遣いは、年齢を重ねて培われたものではない。私が報知新聞社で北海道日本ハムファイターズの担当記者を務めていた2008年は、現読売ジャイアンツの中田翔内野手が鳴り物入りで入団した年。それまでの高校通算最多記録だった87本塁打の実績を引っ提げていた中田だったが、打撃も守備も、当時は一軍レベルには程遠かった。

 しかしながら、1月の新人合同自主トレ、2月の沖縄・名護キャンプでは、派手な言動が連日、大きく報じられた。周りの野手は面白く思わなかっただろう。日を追うごとに、チームメートとの距離が生まれてしまった。

 そんな高卒新人に手を差し伸べたのが、まだ21歳のダルビッシュだった。「放っておこうと思えば、放っておけたけど、タバコとか、そういう面で同じことになってしまってはいけない」。彼が言う「タバコ」とは、自身が入団1年目だった2005年の春季キャンプ中に、パチンコ店での未成年喫煙を週刊誌に撮られ、世間からのバッシングにさらされた時を指す。

 「第二の僕をつくるわけにいかなかったから」と世話役を買って出た。オープン戦途中で中田が二軍落ちするまでは、毎日のように部屋をノックして起こし、食欲を失いかけるほど疲弊していたルーキーに、無理を強いてでも、朝食を口に入れるように仕向けた。

 ダルビッシュは18歳で“痛み”を知った。そこで幸運だったのは、支えになった存在がいたことだ。

 「タバコ」騒動では、当時の日本ハムを率いていたトレイ・ヒルマン監督に救われた。二軍キャンプ地の沖縄・東風平(こちんだ)から、一軍キャンプ地の名護に呼び出され、「選手やコーチからは『何だ、こいつ』『雰囲気悪くしやがって』と冷ややかな目で見られました」という状況下。それでも、ヒルマン監督からは「終わったことだし、仕方がないこと。これも一つの勉強だ。また、次に会う時には、しっかり1軍の戦力になれるように、(二軍本拠地の)鎌ヶ谷で頑張ってきてくれ。俺たちは待っているぞ!」と温かい言葉をかけられた。

 担当記者時代に聞いた、このエピソードは、本人も「転機」と認めており、弱者・苦しんでいる人に対して、寄り添える素養が備わった。

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