ジョージ・オーウェル『一九八四年』
今日もiPhone内の「メモ」から蔵出し。というか、当時ツイートしていたもの。
この小説の重要性は今日さらに増してきていて、また読み返したい一冊。
そしてもっと腰の据えた感想文を書かなくては。
ちなみにこれに触発されて、同じくディストピアSFと呼ばれるザミャーチン『われら』(1921)やオルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(1932)も読んだのでした。
ジョージ・オーウェル『一九八四年』(1949)を今更ながら読了。
全体主義の最終形のような姿を描く寓話は、展開としては予想の範囲内とも言える。
しかし、徹底した監視、言葉の規制、過去の改悪や抹消、何より個人の内面まで作り変えようとしてくる絶対的な権力は、その理屈が理解できないからこそ恐ろしい。
(2018年3月20日)
その後、2023年11月13日に「渋谷のラジオ」で文学ラジオ「BOOK READING CLUB」で『一九八四年』が言及されているのを聴きながら一言感想を投稿。
オーウェル『一九八四年』での、言葉を規制・縮小することで思考をも奪う点についての指摘には深く納得。
読んでから5~6年経つので、もう一度手に取ってみようかなと思いました。