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#159 空気を読まなくなったINFJは、ただのキモい人なのか?
前回の続きです。
果たして、この本の言うとおり、人間は勉強をしていくと、本当にキモい人になってしまうのか?
空気を読むのはつまらない?
会話って、何か一定の方向性がありますよね。私はおしゃべり党に所属しておきながら、世間話したくない派閥の人間なのですが、そこそこ楽しめる余裕みたいなものを後天的に身につけました。世間話検定が存在するのであれば、準2級レベルでしょう。
まだそんなに仲良くない人とはぎこちない会話になっちゃいますが、空気を読みながらやり過ごしてきました。オフィスビルの空気環境測定職人と呼ばれても不思議ではありません。
そんな「空気が読める」とは、どういう状態か?
たとえば、芸能人の不倫報道について(話題)、その芸能人を非難するために話す(目的)。それは、「不倫は悪だ」と認め合うことで(価値観の前提)、自分たちの結束を固めるためかもしれない(目的)。また、休み時間の立ち話ならば、短く話す必要がある(時間の制約)。こういうパラメータをだいたい察知できるのが、「空気が読める」ということです。
/著:千葉雅也
分解すると、結構めんどうなことを瞬時にやっているんですね。意識したことなかったけど、こうして言語化されると、たしかにそのとおりだと。当たり前のようで、よくわかってなかったというか、考えたことなかった。
でもやっぱり、世間話はつまらん。笑
そこからいかにして、深い話につなげていくことができるか?ですよね。私が話したい深いテーマを、相手も許容してくれるのか?ノッてきてくれるか?楽しんでくれるか?
そこですよね。世間話はただの入り口。
その先、ネクストステージに向かいたい。
そして、その人と仲良くなれたらうれしいな。
どんどん深掘っていきましょう。
たとえば、これまで結婚にこだわっていなかったのに、周りが結婚し始めて、これでいいのかと思うようになったとする。「しかし結婚が幸せなのだろうか?」「恋愛にもあんまり興味ないけど、それじゃダメなんだろうか?」「自分的に、幸せとは何だろう?」──自己ツッコミです。ここから、結婚とは、恋愛とは、性とは、幸せとはどういうことか? というように「深い」テーマが開けてくる。
INFJって、この「幸せ」というテーマが好きな気がしますね。noteのタイトルにも「幸せ」の文字が入ってると、スキがたくさんつきますので。これ↓とか。
みんな幸せになりたいんだなぁ。
私も幸せになりたい。みんな幸せであれ。
でも…「本当の幸せ」って何?
とかエンドレスで考えちゃうから、読まれるんでしょうね。何かヒントが見つかるかも…?という期待感によって。ここは、人それぞれの価値観があっていいと思う。
どうでもいい話だけど、この「幸」という字をずーっと眺めていると、ついつい「辛」っていう字に見えてきて、あぁ…いけねぇいけねぇ、昔のこと思い出しちゃったぜ!って。そのうち「幸」の字が、だんだん漢字に見えなくなるというか、変な形に見えてくる感じがあります。この字は何て読むんだったっけ?というレベルまで。こういうのをゲシュタルト崩壊っていうんでしょうか?
脳内会議=ノリツッコミ?
じゃあ、実際に会話するときはどうなるのか?
たとえば、何人かでケーキ・バイキングに来ている状況を考えてみましょう。「クリームが滑らかだね」とか、「メロンがいい香り」とか、無難に感想を言っていて、それで「そっちのはおいしい?」と声をかけられた。で、わざとアイロニーで答えてみる。 「……おいしいって答え以外、許されてるの?(笑)」とか、どうでしょう。感じが悪い。意図的に場から「浮こう」としている。こんなふうに言われたら、その後みんなは、素直に「おいしい」と言えなくなる。
たしかに、このように返事すると浮きますね。
けど、頭の中でこんな返事を想像しているときはあります。妄想で毒づいたり。もちろん、実際には言わないですけど。会話の相手が仲の良い友達なら、言えるかもしれませんね。
結局、たわいもない話は、上述したような会話になりがちなので、つまんなくなりますね。でも、深い話をしようと思えばできるわけで、なのにそれをしないということは、何かを守っているんでしょうね。変なやつだと思われたくない、とか。
「脳内会議における一人ノリツッコミ状態」を現実にもってきてしまうと、これが起こっちゃいますね。だからオートで空気環境測定スキルが発動してしまう。まるでAIのような模範回答しかできなくなるわけです。オーマイリルガール。こんなにも愛してるのに。
すると、この場はどうなるか?
もう「おいしい」という曖昧な言葉には頼れなくなり、どうノったらいいのかわからなくなる。そして全員がバラバラになってしまう──「なんでここに一緒にいるんだろう?」
めっちゃわかる!
「俺、ここにいらんくね?必要なくね?」
って思うし、学生時代はずっと思ってきた。
このつながり、何?
仲良しってこういうことなん?
何が楽しくて、勉強時間削って、一人で遊ぶ時間削って、わざわざ無意味に集まるん?って。笑
ようするに、会話をするときは、ツッコミとボケを繰り返しながら、深いテーマにもっていく方が僕は好き!ってはなしです。そうしていこう!
「深い話がしたい」という「こだわり」。
この無意味な「こだわり」は、なぜ生まれた?
偶然、こだわりが生まれる?
自分のこだわりが生まれた瞬間って、覚えてますか?いろんなこだわりがあるけど、いつ生まれたのか、私はハッキリとは覚えていません。
何かの作品、あるキャラクター、味や色、言葉などへのこだわりをもっている。それがなぜ自分にとって重要なのか、ある程度なら理由を説明できるかもしれません。しかし、こだわりとは、この身体にたまたま生じたもの、何か他者との偶然的な出会いによって生じたものであり、根本的に言って理由がない。こだわりには、人生の偶然性が刻印されている。偶然的な出会いの結果として、私たちは個性的な存在になるのです。
なるほど。
たまたま生じたもの。偶然出来上がったのか。
そうかもしんない!だとしたら、こだわりってますます何なんでしょう。たまたまそうなっただけなのに、こだわってしまう。しかも、根本的な理由がない、とまで言われるではありませんか。
どういうこと?笑
僕のこだわりって、なんだったの?
不快でありかつ快
こだわっている何かは、偶然的な出会いのときに、自分に強くインパクトを与えたものでしょう。それはトラウマ的とも言える経験で、不快でありかつ快でもある。それは意味以前の出会いである。何事なのかを考える余裕なしに速く、強く、何かが自分にぶつかってきた。こういうことを「強度的」と言いましょう。こだわりとは、「偶然的で強度的な出会いの痕跡」なのです。その不快かつ快を、繰り返し味わい直すことが、享楽なのです。
こだわりとは、享楽だと。
気持ち悪かったり、気持ち良かったりすることを繰り返し味わうことだと。まるで、人肌に触れ合うようにもみえる。
しかしこれは「音楽」みたいですね。
たまたま見つけた好きな曲。
その曲の最初から最後まで、全部好きだけど、やっぱりここのパートが好きで、このパートに来る前の少しダルい間奏部分を聴くからこそ、ここのパートが生きるんだよー、みたいな?
この不協和音のゾーンがあるからこそ、このあとにおとずれる和音の解決でカタルシスがくるんだよー、的な?
わざと音をぶつけているんだよー。
この光り輝く美しいハーモニーのためにー。
ってことだな!
謎のこだわり。なんかみえてきたかも。
いや、待って。
勉強の件、どこいった???