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#4 INFJは「べき論」に気をつけて


INFJについて調べていたときに、ふと思い出したことがあります。

その昔、尊敬している上司から、

「"べき論"はなるべく避けた方がいいですよ」

と言われていたことを。

そこで、今回は「べき思考」について、自分の中のルールや、そのルールがなぜ生まれたのか、というルーツなどを考察していきたいと思います。


マイルールは生まれつきあるものか


自分の中にある、
「●●は、こうあるべきだ」
「▲▲するときは、こうしなければならない」
「❌❌してはならない」
というルールって、結構多い気がします。

ネット上のブログや、皆さんのnoteにも散見されますが、INFJは、そのような信念とか理想とかを持って、それに背かないよう、情熱的に人生を歩んでいく的な性質があるようです。

側から見ると、「なぜそんなに雁字搦めなん?」という謎ルールが沢山あるのではないか、また、ある意味、それらによって自分自身が生きづらくなっているのではないか…

私としては、当たり前過ぎるというか、他の人もみんなそう思っているもの、として生きてきましたが、意外とそんなに強く意識していない人もいるかもしれないとも感じるようになりました。

他の性格の人と、一致するルールもあれば、自分独自のルールもあり、INFJの人達と共感できるルールもあり、

こんなルールを作ったせいで疲れる…

まぁ、そう思うところが本音です。笑

かといって、今現在まで生き残っているルールは、もはや廃止できないレベルまでに達しているものもあるのではないかと思います。

これが頑固と言われる所以でしょうか。

そもそもなぜ、このようなマイルール、べき論のようなものを持つようになったのか…(2回目)

私の謎ルール3選


とりあえず、自分の中の強いもの、いわば憲法から民法、条例、努力義務みたいな順番で考えていきます(この順番が難しかった…結局ほぼ同列かもしれません)。

細かいものは一旦おいといて、私の中で本質的なルールを3つに絞りました(細かく分けたら、本当は100個ぐらいあると思います)。

① 完璧にしなければならない


いきなりですが、結局これかもしれません。笑

この完璧主義のせいで、あらゆる理想やルールの遂行を強制させている気がします。

自分で「これはこうすべきなんだ!」と思っていることは、「何が何でもそうすべきである」ので、「そうするしかない」のです。

私がなぜそう思うようになったのかは、分かりません。

いつ頃からそんな感じだったのか、思い返すと、小学3年生ぐらいからです。

例えば、教科ごとにcampusのノートを作ろうと思い、表紙にマジックで「国語」とか「算数」と書くのですが、それが上手に書けないだけで、ノートを嫌いになり、使わない(一応もったいないので落書きノートへ格下げだなって思いながらも結局机の奥に眠らせる)とか、

基本的に、「何か専用」のノートや紙箱、単語カードとかを作りたい欲求に駆られて、やたらと色んなものを作っては、ちょっとでも気に入らなかったら捨ててました。笑

あと、雨のせいでふにゃふにゃになったノートや、少しでも端が折れたりしたノートは、自分の中で2軍落ちしていきました。

ノートの話ばかりですみません。笑

これは、今でもそうで、とにかく項目ごとにファイルなどを整理したい衝動に駆られます。

パソコンの中のフォルダとか、ファイルにも全て番号を振りたくなります。
「01_完成分」
「02_作業中」
〜〜〜(中略)〜〜〜
「99_その他雑件」
みたいにして、99がパンクしたら、また整理して…ああああああぁぁってなります。笑

とにかく、ごちゃごちゃしてるのが嫌です。

どこに何があるのか、すぐに取り出したい!
何かを探す時間が嫌いです!
ここを究極に短くしたい!

何かの本で見ましたが、人生のうちで探し物をしている時間は、ギュッとしたら150日ぐらいになるそうです。

死ぬ間際に、
「あぁ、もっと整理整頓しとけば、あと半年は、唐揚げ食べたり、旅行したりできたなぁ…」
って思うのが絶対イヤなのです!

だから、会社の机も、家の本棚も、同じ形のファイルを綺麗に並べたくなります。

でも、別に自分は潔癖ではないと思っています。掃除は苦手です。でも掃除したいとは常に思っています。時間がないだけなのです。

じゃあ、結局、この完璧主義のルーツは何か…

生まれつきでしょう!
(ここにきてINFJの直感‼︎)

② 困ってる人がいたら助けなければいけない


これは、人間として当たり前かもしれません。

しかし、全ての人を助けられないとも思っています。

なので、「自分が助けたいと思う人は助けなければならない」というかなりエゴっぽいルールになってます。

意外と、実際に目の前で人が倒れたり、交通事故があったときには、びっくりしてすぐに動けなかったりします(自分の血の気が引いていきます)。

という感じで、助けたいといっても直接、人命がどうのこうのではありません。

もちろん、精神を病んで、病気とか自殺とかになってほしくないというのはあります。

日常的には、主に仕事で関わる人達(同僚だけでなくクライアントも含む)に対して発揮されるルールです。

社会で困っている人に、間接的にでも、少しでも何か役に立てたら嬉しいと思っています。

これのルーツは、自分が母子家庭で育ったからかもしれません(そういえば昔はシングルマザーという言い方は存在してなかったですね)。

やはり、貧乏で寂しい環境というのは、それ相応の何かを強制的に育むのではないでしょうか。

お金の有無で、やりたかったけどできなかった何かや、遠慮してしまった何か、早々に諦めざるを得なかった夢だったり、考えることさえやめていた何かが無数にあります。

自分と同じような感じの人が、少しでも減れば、減らないにしても、その人達が少しでも生きやすくなればいいなーと思っています。

なので、おそらく、割と強烈に

「貧乏人は強ぇぞ」

(映画クローズ2の山田孝之風)

みたいな気持ちはあります。笑

多分、私の場合は、このような環境で育ったのがルーツだと思われます。

ちなみに、ノートを捨てていた時代は、母子家庭になる前ですのでお許しください。笑

しかし、思い返すと、その頃から両親の別居が始まっていたので、もしかすると、何らかの防衛反応だったのでしょうか?(俺のルーツって…)

③ 自分がされて嫌なことは他人にしない


これはなかなか難しいんですが、こうありたいと常に思っています。

これのルーツは分かります。

やはり、学生時代に周りからとやかく言われて、嫌なことされたり、言われたり、

もちろん自分もそれに対抗したり、反応したりして、陰口言われたから、陰口を言い返したり、

なんか、色々いけないと思うこともしたような感じで、自己嫌悪になったり、

とにかく、自分が嫌だったことは、人にはしないというルールが、割と早々に作られました。

結局、人に干渉されたくないんですよね。

こっちも色々と察して、あえて踏み込んでないところがあるんじゃから、こっちにも入って来んな!と思うわけですよ、これは、冷たい人間なんでしょうか。笑

このルールの反対解釈で、
「自分がされて嬉しいことは、他人にもしてあげよう」
というルールもあります。

しかしながら、社会というのは複雑で、自分が良かれと思ってやった行動が、他人にとっては嫌だったりすることも多々あるので、

このルールは意外にも成功率が上がらないルールとなっております。笑

ついつい、お節介しちゃうんすよね^^

結局、なんなんだマイルール達よ


意外にも、マイルールのルーツを掘っていくと、自己分析につながる可能性を見出すことが少しだけできたように思います!

自分はこうあるべきだと思う事柄について、

なぜそう思うようになったのか?

と掘り下げていくのは、やや大変でしたが、整理していくとさらに面白いことが分かるかもしれません。

もしかすると、今の環境では、そう思う必要性がないことが分かったりして、マイルール改正法が成立する日も近いかもしれません。

私の場合、社会人になってからは
「むやみにノートは買わない」
という通達が定められております。笑

みなさんも色んなマイルールがあると思いますが、そのルーツはいかがでしょうか?

共感していただけると幸いです!

また細かいルールについては、別のときに考えたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました😭

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