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"ゆとり世代"と呼ばれる私たち


新人類、バブル世代、就職氷河期世代…
いつからいつまでの時代が、どう呼ばれているか、意味や特徴を理解し判別出来ている人は何人いるのだろう?


1990年代後半の私は、
『Z世代』『エシカル世代』『ポストミレニアム世代』だ。

しかし社会は若者を一括りにし、ゆとり世代やZ世代と呼ぶ。

セクハラや、パワハラに敏感だと言われて
上司や先輩からよくわからない距離感をあけられる。

そもそもそれは、世代関係なく人が不快と感じること自体NGではないのか?
若者の世代がどうとかではなく、世代のでいうのであれば、『新人類』の価値観がおかしいのではないのか?

いや、大前提として、給与や物価等を考えると時間やお金の価値すらも変わっている中で、1つの時代に名前や定義など付けることが自体が不可能ではないのか?

たった一年、一日で変わる時代に名前をつけ、括りをつくる日本人らしさは今後も続く中で、自分を1人の人間として他人に見てもらうためにはそして保ち続けるためには何をすべきか。そう考えていくことが本質であると私は思う。

そして、括りで判断せず、私も1人ひとりの本質をできるだけ見ることができる人間になりたい。そのために私自身と時代を常に照らし合わせ、取捨選択をする必要がある。


大切な個性を受け止めて、個性を露出するところ、抑えるところを学び、
どこかで気を抜いて、自分らしさを形成する。

私も貴方も、気持ちと時代に"ゆとり"を。

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