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学校ICTの日常化を阻む元凶は「授業支援システム」ではないか?① ”公開授業のそばに授業支援システムあり”

今回からは連載形式で、全4回の記事になる予定です。
この連載は色んな人を敵に回す記事になるかもしれないので、魔法の言葉を書いておきます。

個人の感想であり効果・効能を示すものではありません。

よし、これで何があっても安心だ。

これから『学校ICTの日常化を阻む元凶は「授業支援システム」ではないか』という話と、そこに自分がどう対応していくのか、4回の連載記事形式で書いていきます。
今までは皆さんに楽しく読んでいただけるよう記事を書いてきたつもりですが、今回からはもしかしたら不快に思う方もいらっしゃるかも、です。
その場合はごめんなさい。

学校でのICT活用率は世界最低水準

まずはタイトルにある前提「学校のICT活用が日常になっていない」の説明を。

この手のことを書く場合は、GLOCOMの豊福先生の力を借ります。切り込み方が半端ないので、臭いモノに蓋をしたい方は敬遠する人もいるかもな方です(こんなこと書いたら怒られそう...。)。

以下はPISAが行っているアンケートの結果、学校におけるノートPC使用率の国際比較の経年を豊福先生がまとめてくださった資料です。

画像1

OECD加盟国の比較で、日本の活用率は最低水準。豊福先生はより刺激的に死蔵率が最高水準と言っています。
※元はこちらのSlideShareです

GIGAスクール構想で業界的には良くも悪くも騒がしい状況ですが(実際の学校現場はGIGAスクールを知らない人多数ですが...。)、現実から目を逸らすわけにはいきません。
「日本の活用率は最低水準である」がスタート地点です(裏を返すとゴボウ抜きのしがいがあるぜ!)。

公開授業のそばに "授業支援システム" あり

そしてなぜ、日本の学校でICT活用が日常化しないのか。
少し角度を変えた仮説が「学校のICT活用が日常化していない元凶は "授業支援システム" ではないか?」です。

いわゆる授業支援システムは、学校のICT導入の際には「これがないといけないよね」という感じで、ある意味で導入が前提となっています。

そして導入校がICT活用を発表する場、公開授業になると授業支援システムを使った協働学習の場面が多く見られます。
ちょうどこんな感じの授業。

画像2

※文部科学省の学びのイノベーション事業のWEBのものです。

こういった授業は見映えますし、実際に学習者側の力もつく授業だと思います
参観する方もこういう授業を褒めがちです。
特にあまり授業を参観されない保護者や民間の人は絶賛しがちです。

そして現場で実践をしている先生方や有識者の多くは、授業設計や発問、生徒のみとりなどを評価しつつ、心の奥底では「この授業の準備は大変だったろうな」「これを日常的にやるのは難しいだろうな」と思っているのではないでしょうか。

少なくとも自分は、いつもそう思っています。


"特別な授業"がもてはやされ"日常での活用"が外に

協働的な学びを否定する気は全くなく(むしろ積極的に肯定です)、公開授業を否定する気もありません(そこまでの準備や段取りが過剰過ぎ、とは思っていますが)。
そういう「イベント」によって、自分の授業を見直すキッカケに繋がるでしょうし、そもそも授業を公開することそのものに意義があると思っています。

ただ、「特別な授業」がもてはやされても、大半はそんな授業を行うことはできないはずです。

昔話題になった悪循環画像ジェネレータを使って表現するとこんな感じでしょうか?

悪循環

むぅ、ちょっと無理がありますね...。
個人だけでこんなループに入ることはそうないかもですが、大きく全体ではこういう渦ができている気配があります。
なぜならやっぱり公開授業になると授業支援システムを使った協働学習が多いから。
個別学習教材の事業者の方に聞いた話では、普段からドリルを使ってくれている先生も、公開授業になると「見映え」が求められるので、慣れない授業支援システムを使わざるを得ない、という呻きもあったとか...。
そしてそういった授業が評価され・・・。そんなループを昔から感じています。
ループをつくる一端に、協働学習を標榜していたフューチャースクール推進事業もあるので、関わっていた自分としてもなんとかしたいと思っています。

ICT活用に対する意識の課題

どうしても授業研となると、細かい授業技術への評価コメントが多く、またそこに絡めたICT活用の評価が多いように感じています。スペシャルな授業をより洗練させていくには、勿論アリですし、そこから見つけられるものもあるはず。

でも、もっと日常的な活用に焦点を当てて、再現性を軸に評価してみてはどうか、といつも感じていました。
統制型の完成された授業は、ある意味で舞台を見ているような美しさがありあります。達成感もあると思いますが、実は苦しくもあるはず(先生の稼働面もそうですし、自分が学習者側のときもそういう授業が窮屈だと感じていました)。
授業支援システムという装置の圧力が、それを加速させているのであれば、多分、それを提供する事業者側も本意ではないはずです。

そして、特にGIGAスクールのような1人1台環境では、授業もそうですが授業外の活用が肝になります。

以下の方はとある教育委員会で教育の情報化を担当している方のようですが、昨年末の超忙しい中で書かれた雑感は、胸に刺さるものがありました。

導入の担当者として、一人一台になるにあたり現場にやって欲しいこと、考えて欲しいこと、気をつけて欲しいことというのは他にありまして、それは、授業以外の場面で、可能な限り子どもたちの自由に使わせてあげて欲しいということです。
ヒントを与えて見守るというのは制限するより負担が大きいので、現場に嫌がられることは理解していますが、必要なことです。
個人的には、ICTを活用した授業研究より、はるかに大切だと思ってます。
なので、私はこれから一人一台端末を導入する際に、子どもたちに出来るだけ自由に触らせてあげて欲しいと、繰り返し現場にお願いし続けようと思ってます。

この辺りについても、次々回ぐらいに書いてみます。
ちなみに次回はまた少し違う角度のことを書いてみます。

次回予告

次回は『ベンダロックインのそばにも授業支援システムあり』として、ベンダロックインの構造について書いてみたいと思います。
こっちはこっちで多方面から怒られそうですが、、、もし次回の記事が違うものになっていたら「そういうことか(諦観)」と察していただき、会ったときには生温かく接していただけたらと思います(笑)

ではまた。

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