【掌編小説】それはあなたが猫のようだったから
彼女とは、ほとんど話をしたことがない。
同じ部署で働いて3年目になるのに。
彼女は、誰とでも気さくに
話しができるようなタイプでは
なさそうな感じだったが、
同僚とは何気ない話をしているし、
どちらかといえば
明るく振る舞っているように見えた。
でも胸の内は見せていないように
感じていたし、私に対しても同じだった。
ある時、2人で話すタイミングがあり、
仕事の取り組み方や進め方など
できることが増えてきていたので
「色々とできるようになってきたね」と
そのことを伝えると、戸惑った表情をした。
しばらく沈黙が続いた後、
何かを伝えたそうだったが
言葉の代わりに涙が頬を伝って落ちた。
彼女の気持ちを両手で、
そっと、すくいたいのに、
すくった気持ちが、隙間からこぼれるのを
ただ見ることしかできなかった。
数ヶ月後、彼女が退職することを知った。
学生の頃から好きでやっている
ことがあること。
それは社会人になってからも
続けていたこと。
それを仕事にしたいと
思ったこと。
その気持ちが
抑えきれなくなったこと。
色々と想いを話してくれた表情は
明らかに今までとは違って見え
とてもうれしそうだった。
悩みながら時々休んでいたのは
彼女が彼女であるために、
必要な時間だったのだ。と今なら思う。
でも、ただそれだけだった。
ちょっとは気楽に話せる関係になるかなと
期待してしまったけど、何も変わらなかった。
距離感は相変わらずで
見かけても目も合わず
前だけまっすぐ見て
スタスタと彼女は足早に行ってしまう。
声をかけようとしても
その隙さえも、もらえずそっけない。
それはまるで、近付けば逃げてしまう
猫のようだった。
そんな姿を見ていたら、以前飼っていた
猫のことをふと思い出した。
人慣れしなくて、
甘えたそうでも寄ってこない。
「おいで」と言っても知らん顔。
でも、息も絶え絶えになり
お別れをしなければならなくなった時は、
ふらふらに、なりながらも近寄って来て、
「にゃ〜ん」と鳴きながら
挨拶に来たそんな猫だった。
私は強くなんてなかった。
だから自分の想いにまっすぐな
彼女の姿が羨ましかった。
本当はあの時、彼女の涙を見て
「やりたいと思っていることが
あるんじゃない?」と聞きたかった。
でも、その言葉が出なかった。
「うん」と頷かれることが怖かった。
頷かれてしまったら私は、
「諦めずに頑張れ」とか
「応援するよ」とか言って、
格好いい自分でいよう、としたと思う。
その想いは、どんなに言葉にしても
届かないような、そんな気がした。
もしかしたら人の言葉ではなく
猫の言葉だったら伝わるのかもしれない。
なんて思っていたら、
前を歩く彼女の後ろ姿から
ピンと立ったしっぽが
見えたような気がした。