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100年後は誰もいない
出来る限りお朔日参り(おついたちまいり)をするようにしている。
初詣に行くように、月初めに氏神様のところに行ってご挨拶をする。
ただ心を無にして合掌だけする日もあれば
住所と家族全員の名前を丁寧に言う時もある。
空から光のオーラを纏うイメージをする。
こうやって祈りを込めても嫌な出来事っていうのは起こるもの。
「気づきを与えてくれた」とか「自分の思考を体現している」とか、いろんな解釈があるけど
私は「どうせ100年後は全員死んでる」派。
その時その時一生懸命 生きて
その時の最善を尽くして
その繰り返しでいいと思う。
100年って、生きるには長いけど 意外とすぐ先の未来で
ちょっとした後悔も、何十年来の未だに尾を引く後悔も、誰も何も覚えてくれていない。
歴史に名を刻むような出来事ではない。
それぐらい小さなことかもと思ったら
心が軽くなるし、もったいないなぁという感情が湧いてくる。
不安なことも、
どうせ100年後は死んでると思ったら心がちょっと平和になる。
終わりがあるって安心する。
だからそんな時は100年先にタイムワープしてみるといい。
ずっと後悔してたり、不安に思ったりする私はいないから。