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【読書感想文】大きく勘違いしてた、「愛するということ」
エーリッヒ・フロム著 「愛するということ」
この本を手に取ったのは数か月前。70年前に書いた本なのだろうか。たったいまを生きる、わたしの感性に響いてくる。
愛するということは、時代背景、人種、性別、あらゆる条件を越えて、みんな同じように悩むし、誤解してきたんだ。わたしは、ほっとした。なんだ。みんな同じだ。良かった。
でも、内容がいかんせん難しくって、しっかり理解できてない。何回も読み直したんだけどね。第二章以降は、もうさっぱり。お手上げだ。
書くと予告した記事も書いたのに、感想文を全然書き進めることが出来ずじまいでいた。
このままじゃいつまで経っても足踏みだ。えい、ままよ。衝撃を受けた第一章の感想だけだけど、感想文を書いた。
衝撃をうけた第一章
愛は、「その人がどれくらい成熟しているかとは無関係に、誰もが簡単に浸れる感情」ではない。
えっ。愛は誰しもが生まれ持ったと同時に備えている感情、ではないのか。人類の標準装備だと思い込んでいた。わたしはのっけから驚いた。
でもね。正直、納得もした。だってわたしは、愛することが下手くそだもの。全然備わっていない。
できない自分がおかしいと思ってた。なので、ちょっとだけ安心した。
第一に、たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、つまり愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題として捉えている。
ギクッとした。わたしはどうすれば愛されるのかへ、磨きをかけてきた。外見を磨く、気のきいた会話、謙虚な態度。
本文にもあるとおり、「愛される」には人気とセックスアピールがあればいいと思っていた。どうも違うらしい。初めて知った。
第二の前提は、愛の問題とはすなわち対象の問題であって能力の問題ではない、という思い込みである。
もう耳が痛い。ステキな誰かがいれば、愛せるもん。そんな相手がいないことが、問題なのだ。わたしはつくづく思っていた。
違うのだ。わたし自身が、誰かを愛する能力を育んでこれたかいなかに、かかっていた。
自分を振り返る。ちっとも育む方向性の努力はしてきてない。だから、わたしは愛することが出来ないんだ。
いい方に考えると、わたしにはまだまだ伸びしろがあるってことだよ。頑張ればなんとかなる余地がある。
じゃあ、どうやって頑張ろうか。意気揚々と次の章を読んだ。
感想が止まった第二章
第二章は「愛の理論」である。「愛するということ」イコール「恋愛」だと、わたしは思い込んでいた。狭い解釈だったと、読み進めるほどに実感した。
親子の愛にはじまり、友愛、母性愛、恋愛、自己愛、神への愛に繋がっていく。愛は幅広いものだった。みんなにとっては、当たり前なんだろうか。わたしは当たり前じゃ無かったよ。トホホ。
もう、わたしの理解を超えた言葉で、文章が続いていってた。あわわとオーバーフローした。
とてもじゃ無いけど、ひと様に公開できる感想は書けそうにない。いまは一旦諦めた。降参です。
第二章以降をもっと読んでみます。いつか自分の言葉で説明できる日が来たなら、改めて記事にしよう。
恥ずかしいけど。わたしの正直な感想文でした。