文章を書くのと同じくらい、自分をみるのが好き
わたしはことばと広告さんにコーチングをお願いしてます。そのことばと広告さんから、お題をいくつかもらいました。本日はそのひとつ、「書くことの次に好きなこと」です。
お題をみたときから思ってました。次じゃないな。並ぶかな。いや、もしくは凌いじゃうかも。
書くと同じくらい好きなこと、わたしは自分の心を観るです。思春期に入ったくらいからしてるから、文章を書くよりも歴は長い。好きにとどまらないかも。気づけばどんなときでもしてるから、もはや呼吸するようにやってます。
始めたのが思春期というのがポイントです。
誰かによく思って欲しい。もっと幸せになりたい。良くなるはずなんだ。そんな湧き出る衝動が、自分の心を観るようになった、はじまりの素だから。
どうしたらいい? どうしたらいいんだろう?
グルングルン自分の中へお問合せをする毎日でした。
この行為は内観と言うそうです。そんな高尚なことをしてる意識もなかったなあ。欲まみれからの発想だったし。
「他人は自分を映す鏡」という言葉を聞いたことはありますか?
わたしはこの言葉を聞いたとき、「自分の中身を整えたら、わたしの思い描く世界が繰り広げられるってことね。よっしゃー!やるぞ」と思いました。欲と若さの勢いです。
結論をお伝えします。そんなわけない。世界がわたしの思い通りになったこと、いっぺんもないです。現実は思いもよらないことの連続です。
「他人は自分を映す鏡」に重きを置きすぎて、振り回された時期もありました。
自分を知ろうとするあまり、他人ばかりみる。すると他人に詳しくなり、自分が分からない。そんなバカなことある⁈ あったんです。現にわたしはそうなりました。方向性ってホントに大事ですね。(遠い目)
長年の内観で培ってきた感性があるからこそ、わたしは日々のnote記事を書くことが出来てます。わたしの場合、書くと内観は切っても切り離せないです。
答えを出そう。結果を出そう。何か成果を出そうとばかり、もがく毎日でした。
最近ちょっとずつなんだけど、「分からない。それもいいね」「何でもいいか」と感じる心が育ち始めてます。自分のことなんだけど、おもしろいなあって観察している毎日です。