※再投稿◆遠吠えコラム・「鎌倉殿の13人・第32話『災いの種』・血の抗争、脱落者続々!一幡も、仁田殿も、比奈も、そしてアイツも…」(※史実のネタばれあり、画像は大河ドラマ公式ツイッターより)
北条が比企一族との抗争を制し、再び平穏が訪れようとしていた鎌倉。危篤状態だった頼家が目を覚まし、新たな争いの火種がくすぶり始めた。頼家の予想外のタフネスに戸惑う北条をはじめとする御家人たち。危篤中の頼家を勝手に出家させ、弟千幡を次期鎌倉殿に勝手に擁立し、勝手に比企一族を滅ぼしたことを誰がどう釈明するのか…。覆水盆に返らず。苦しい言い訳もむなしく、頼家は自分の育ての親の実家が焼き払われことを知り、「謀反人」の北条討伐を御家人に命じる。一難去ってまた一難。いや、一幡去って千幡。将軍をも巻き込みさらに激化する血の抗争。一幡も、いつもニコニコ仁田殿も、いい味出していた比奈姫(姫の前)も。魅力的なキャラクターが続々と退場していった波乱の32話「災いの種」。今回も遠吠えし甲斐がありました。行ってみよー!
【頼家危篤を巡るドタバタ】
先週のコラムでも紹介したが、源頼家(演・金子大地)は比企一族の娘(若狭の局、ドラマではせつ、演・山谷花純)との間にもうけた子一幡を最有力候補と考えていた。天台座図慈円が著した同時代の記録「愚管抄」によると、1203(建仁3)年9月に重い病にかかって死にかけた頼家は、一幡に後を託そうとしていたとの記述がある‹1›。同年8月末には出家し、頼朝時代からの宿老大江広元の屋敷で療養していた。一幡が後継者となれば、頼家の義父で、一幡にとっては外祖父にあたる比企能員がうら若き鎌倉殿の執政への発言権を高めて鎌倉で存在感を増すことになる。それを阻止すべく北条が先手を打って比企一族を討滅。時政は娘の阿波の局(実衣、演・宮澤エマ)を乳母として育った千幡(後の実朝)を立てて自身が外戚として実権を握ろうと企んだ。
ドラマ上では、義時が文官たちと打ち合わせて、「関西三十八ケ国」を千幡に、「関東二十八ケ国」と「惣守護領」を一幡にそれぞれ権限を与えるという妥協案を比企に提案し、決裂する。この妥協案は鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」建仁三年八月二十七日条に登場するエピソード‹2›。比企が外戚として権力をふるうのが気に入らないという動機だけでは弱いと感じて吾妻鏡のエピソードを織り交ぜて脚色したのだろう。交渉決裂を「大義名分」に北条は戦端を切ることになる。
頼家がそのまま亡くなっていたら北条は次期鎌倉殿の外戚として権勢をふるうはずだった。しかし頼家は息を吹き返し、北条の企ては崩れようとしていた。そればかりか、頼家が昏睡状態だったのをいいことに、頼家が次期鎌倉殿に目していた一幡ではない者を勝手に後継者に立てようとしていたんだから、これは「謀反」と疑われても仕方ない。永い眠りから覚めて浦島太郎状態の頼家が、「一幡に会いたい」「せつはどうした?」と申し出るも、「はやり病で臥せっております」の一点張りで時房(演・瀬戸康史)が目を泳がせながら懸命に取り繕う様子はいかにも三谷脚本っぽくてコミカルだった。
だけど思ったよりドタバタ騒動の描写が短かったとも感じた。喜劇作家三谷幸喜だから、頼家復活後のドタバタをもっとコメディタッチに描くのかなあと期待したが、案外間が持たなかったように思う。頼家だってバカではないし、さすがにそんなに長くはごまかしきれないか。うつむきながら目を泳がせる時房もっと見たかったな。「(病に臥せってる)せつに何か贈り物をしたいのだが、小四郎(北条義時のこと)、何がよいだろうか」という頼家に「おなごは皆、キノコが好きでございます」とか顔を引きつらせながら返答する小四郎見たかったな。泰時が機転を利かせて「外の空気でも吸いに行きましょう」とか言って頼家を蹴菊に誘い、その間に御家人たちが今後の対応について作戦会議するが、時房が調子に乗って鞠を遠くに蹴ってしまって、それを頼家が「案ずるな、しばし歩きたい」とか言って歩いて取りに行った先で焼け野原になった比企の館跡を見つけてしまい、「なんじゃこりゃー」とか叫ぶ展開とか…。題材が熾烈な権力争いだからこそ、あえて明るくコミカルに描くのかなあと思ったが、淡い期待でした。
義時って、史実を追うとわかるが結構いろんなハプニングに巻き込まれ、その都度かなり動揺しては優秀な人々に救われている。例えばドラマでも恐らくクライマックスに位置づけられるであろう承久の乱でのあたふたを紹介する。
後鳥羽上皇は義時追討の宣旨を発給するが、義時にとっては驚天動地の出来事だったようで、重臣たちと緊急的な会合を開いて対策を練ることになる。当初は関所の口を閉じて守りを固めて坂東で迎え撃とうと考えていたが、そこに「否」を突き付けたのが、頼朝時代以来の宿老大江広元だ。
大江はもとは京都の役人。坂東で一旗揚げようと頼朝のもとに集い、幕府の公文所(後の政所)初代別当(長官)も務めている優秀な役人。プライドは高いが喧嘩にはめっぽう弱い京都の貴族の特質をよくよく理解していたのだろう。「京都に攻め上るべし」と、先手必勝の助言をし、幕府軍を勝利に導く‹3›。クライマックスになっても小四郎のあたふたは見られると思っていたけど、あそこまで闇落ちした描き方してしまうと、三谷さんっぽいコミカルな遊びがしにくくはないか。
ただ、史実は笑えないほど残酷だ。「新古今和歌集」の選者・藤原定家の日記「明月記」などの京都側の記録によると、1203(建仁3)年9月7日に鎌倉から頼家の死去と千幡への征夷大将軍任命を要請する使者が京都に到着している。まだ頼家が存命中にもかかわらずだ。加えて鎌倉から使者が経ったと思われる日の前後(当時鎌倉から京都まで行くのに5日かかったという)である同年9月2日には比企能員が殺されている‹4›。先に挙げた「吾妻鏡」などの記述と総合してみても、北条時政を中心とする御家人たちによる頼家・比企排除に向けたクーデターの様相が浮かび上がってくる。鎌倉超コワいところ。
【熾烈な権力闘争の「脱落者」続々】
物語が進むにつれてドラマを彩っていた魅力的なキャラクターが退場していくのはサバイバルものにありがちなジレンマ。第32話も魅力的なキャラクターが物語の舞台から降りて行った。
まずは仁田忠常(演・ティモンディ高岸宏行)。小四郎からも「仁田殿」と親しみを込めて呼ばれていた侍。生前は人懐っこい笑顔で鎌倉殿や北条のそばに仕え、いざ争いごとが起こるとフルアーマーで登場し、大立ち回りの大活躍を見せる。比企の乱でも能員の首を掻き切ったのは仁田殿だった。愛らしく、それでいて頼りになる。ティモンディ高岸の素直な演技を最大限生かしたキャラ造形は、初めは「高岸のまんまじゃん」って思ったけど、仁田殿の実直さをよくよく引き立てていたように思う。いや、ああいう演技しかできなかったというのが本当のところだったのかもしれないが…。
仁田殿は伊豆の生まれ。北条家と同郷で時政や義時とともに頼朝の挙兵にも加わっており、源平合戦や奥州合戦にも参戦している‹5›。32話で仁田殿は、和田義盛とともに頼家に呼び出され、比企一族を滅ぼした北条の討伐を命じる。「吾妻鏡」では頼家に時政討伐を命じられた後、能員討伐の恩賞を受けるために時政の屋敷を訪れ、そこで殺されている。「愚管抄」には侍所に出仕していた北条義時に殺されたとの記述もある。
仁田殿は頼家の子一幡の乳母夫、つまり育ての親でもあり、頼家にも近い存在だった。中世史研究者の山本みなみ氏によれば、養育した一幡に被害が及ぶのを恐れた仁田殿は時政と対立したこととされる‹6›。いずれにせよ近しい関係にある頼家と北条の間で板挟みになっていたことが想像できる。ドラマでは、頼家の命に従って頼朝挙兵以来の戦友時政を討つべきかどうか思い悩み、小四郎に相談しようとするが、忙しい―との理由でかなわず、苦悩のうちに自ら命を絶つ。自身の大切なものをいずれも失うくらいなら自分が犠牲となる道を選んだ。そんあ実直な人柄が表れた悲しき最期だった。
命こそ落としてはいないものの、血なまぐさい闘争の舞台から降りた意外なキャラクターも。
数々のキーパーソンを手にかけてきた冷徹なアサシン善児(演・梶原善)だ。幼い千鶴丸との「川遊び」(水に沈めて子どもを殺す意)で鮮烈なデビューを果たしたが、範頼(演・迫田孝也)暗殺のあたりから殺害現場に居合わせた子供を見逃して自ら養育したりするし、殺し屋としては意外と甘いところがあるなと感じていたが、本話ではついにあの冷たい鉄の仮面に一筋の涙が。
比企の乱では一幡の始末を義時に命じられていたが、泰時が機転を利かしてかくまっていた。かくまわれた一幡と過ごす中で何らかの愛情が生まれたのか、現主君義時に一幡殺害を命じられるが、「できねえ」と言って聞かない。ためらいの理由を問われた善児の「わしを好いてくれている」という一言に、誰からも愛されなかった過酷な人生がにじむ。他人を散々殺しておいて、何を今さら言ってんだ。アンタ地獄に落ちるわよ!ってはじめは抗議の念がのど元までこみあげてきたけど、幼子をためらいなく水に沈めていた殺人マシーンも、熾烈な抗争の最前線で返り血を浴びる中で最早使い物にならないほどにすっかりさびてしまったのだろう。
ドラマの歴史考証を担当している中世史研究者坂井孝一氏によると、当時は鎌倉を中心とする坂東一帯ではかなり頻繁に権力抗争が繰り広げられていたが、それらは地域紛争に過ぎず、それ以外の地域は比較的平和だったのだとか‹7›。善児ほどの殺戮マシーンが参ってしまうほど鎌倉は異常なのだ。
静かに歩み寄り、一幡を始末しようとする義時の気配を感じ取ったトウ(演・山本千尋)が「水遊びをしましょう」と言って一幡を連れ出していく。先ほどまで一幡が遊んでいた遊具を涙ながらに壊す善児。一幡との別れを覚悟しながらも涙があふれだすその表情から、暗殺者としての終わりを見る。悲しい「世代交代」の一幕だった。
そして最後に取り上げたい「脱落者」が、義時の後妻で比企一族の娘比奈(演・堀田真由)だ。
「吾妻鏡」では「姫の前」の名で登場する。ドラマでは比企の乱後、比企一族の縁者を根絶やしにしようとしていた北条家に命を狙われる。義時は「北条の者だ」とかばうが、妹の阿波の局などから縁を切るように迫られる。亡き頼朝とは「絶対に離縁しない」と約束をしているため、思い悩む義時だったが、比奈から「離縁してください」と伝えられる。自分から離縁を申し出れば、かつての主君の約束を義時に破らせなくて済むだろうという彼女なりの配慮だろう。
ただ、ちょっと待てくれ小四郎。比奈の実家を焼き払ったのを決断したのはお前ではなかったか。比企の娘である比奈の立場が悪くなることくらい予想できたでしょうに。つまり、比奈の離縁は自業自得なんだよね。比企一族を滅ぼした自身への報い。うちの妻は関係ないから許して、なんて都合のいいこと言って、アンタ地獄に落ちるわよ(2回目)。
小四郎よ、そもそもお前は亡くなった八重の面影をずっと引きずっていたではないか。比奈との婚約についても八重を亡くして間もなかったことから「まだ早いのでは…」ってな感じで戸惑っていたではないか。それでも比奈さんはめげずに義時のそばにいてあげていた。なんていいやつなんだ、比奈。比企の乱では能員の館に忍び込んで障子の裏から北条討伐計画を盗み聞いて泰時を通じて小四郎に伝えるという命がけの行動にも出ている献身ぶりだった。比奈は小四郎のことが相当好きだったんだろうな、とは思うものの、ちょっとできすぎていて気持ち悪い。いささか理想化されすぎでは?
史実では、むしろ義時の方が比奈にぞっこんだったらしい。「吾妻鏡」によると義時は姫の前(ドラマでは比奈)に度々恋文を送るが、一向に振り向いてもらえなかった。見かねた頼朝が間を取り持ち、二人はゴールイン。義時は「絶対に離縁しません」という起請文まで書いている。そんな二人は比企の乱直後に離別してしまったようだ。姫の前は乱後に上洛し、ほどなくして源具親と再婚して子をもうけ、1207(承元元)年に亡くなっている‹8›。ドラマとは全く印象が異なる。だから、小四郎が大好きな比奈という造形は三谷脚本ならではなのだ。
自分がいれば小四郎のことを困らせてしまう。彼のキャリアにも傷がつく。だからここは私が身を引こう、ってな具合だとは思うが、結局女性が犠牲になるのかと思った。感動的な場面のように描かれてはいたけど、女性が犠牲になるアレンジを選んだ脚色には男性本位な価値観がにじんでいたように思う。ドラマ上では比企の乱の絵を描いたのは小四郎なので、悪いのは全部小四郎なんだからね。
中世史研究者呉座勇一氏によると、北条家の小四郎と比企家の娘姫の前の結婚には、いずれも源氏の親族である北条と比企の結びつきを強めることで、嫡男頼家が鎌倉殿になった時の政治的な基盤を強化する狙いが頼朝にあったと考えられているという‹9›。とすると、比企の乱は、北条が頼朝の思いを踏みにじったという側面があることも見えてくる。義時は北条と比企との関係の結び目にいただけに、両家の権力闘争の最中はさぞ居心地が悪かったことだろう。
姫の前はというと、小四郎と離別した後ほどなくして再婚して子どもができてる。小四郎側の矢印が大きかったことがうかがえる「吾妻鏡」の記録なども踏まえると、見限られたというのが実際のところなのではないか、あくまで想像だけど。
先週のコラムでも書いたけど、義時を黒幕的に描こうとするあまり、史実との整合性もキャラ造形もいろいろ中途半端になっている気がする。そもそも義時は父北条時政すらも正統な後継者に目してなかったのに、鎌倉の中であんなに偉そうにできるわけないんだよ。
ドラマ上では政子にも「頼朝様の孫を殺した」「もうあなたを信用できない」とまで言われてしまったからな。今後どうやって関係を修復して時政を追放するのかな。りく(牧の方)との対立というだけで描き切れるとは到底思えないが。いや、三谷幸喜だから、きっと驚くべきアレンジを用意していることでしょう。今のところ裏切られてばっかりだが、悪い意味で。
【鎌倉の抗争は霊界をも巻き込む更なる波乱へ】
32話の最後にはまさかの比企の尼(演・草笛光子)の亡霊が登場した。一族を滅ぼした北条を呪い、復讐のための必殺の鉞(まさかり)として選んだのは、頼家の男・善哉。後に三代目鎌倉殿・源実朝を鶴岡八幡宮で暗殺する歴史的な大事件を起こす公暁、その人だ。尼は北条への呪いの言葉を善哉にささやき、姿を消す。草笛光子の人間離れした表情と声色がすごく不気味で、背筋が凍りそうだった。
草笛光子の迫力に騙されることだったけど、よくよく考えると公暁が滅ぼすのって、北条じゃなくて源氏だよな。確かに公暁は北条義時もターゲットにしていて、八幡宮で行われた右大臣胚芽の儀式で太刀持ちとして実朝のそばにいた源仲章を義時と間違えて殺しているが、北条家の滅亡も望んでいたとしたらそんな衝動的な行動にでるだろうか。
そもそも公暁が実朝暗殺を企てるきっかけとなったのは、実朝が次期鎌倉殿を皇族から迎えようと構想していたことを知ってからだといわれている‹10›。子どもができなかった実朝の次期後継者は自分だ―と考えていた公暁にとって摂家将軍擁立構想はさぞ焦っただろう。実朝暗殺事件の1か月ほど前、鶴岡八幡宮にこもって祈祷を続け、髪も切らなかったことから周辺の人が怪しんだという記録が「吾妻鏡」にはある‹11›。実朝への呪詛をしていたであろうことが容易に想像できる。
一方義時はというと、「愚管抄」によれば、事件当時八幡宮の中門にいて、儀式が行われた本宮へは同行していなかった。「吾妻鏡」では、当初太刀持ちを務めていたが、途中で体調不良を訴え源仲章と交代して助かったという。白い犬の霊を見て体調を崩したという逸話も存在するくらいだ‹12›。
三谷脚本は吾妻鏡の記述を採用しながら脚色する傾向にあることを考えると、この霊は既に亡くなった八重か、そのころにはもうなくなっているであろう比奈の守護霊で、比企の尼の怨霊に憑りつかれた公暁の凶刃から小四郎を救う展開があるかもしれない。でないと、比企の尼の北条への呪詛が後々聞いてこないと思う。
今後鎌倉での権力闘争は霊界をも巻き込んむ戦いに発展するのだろうか。特級呪霊比企の尼を使役する公暁と、八重、比奈の守護霊をまとう義時による呪術廻戦、期待したい。
【参考文献】
1.大隅和雄訳「愚管抄-全現代語訳」(講談社学術文庫、2012年)
2.西田友広編「ビギナーズ・クラシック日本の古典『吾妻鏡』」(角川ソフィア文庫、2021年)
3.本郷和人「承久の乱―日本史のターニングポイント」(文春新書、2019年)
4.呉座勇一「頼朝と義時-武家政権の誕生」(講談社現代新書、2021年)
5.2に同じ
6.山本みなみ「史伝 北条政子」(NHK出版新書、2022年)
7.鎌倉市・鎌倉殿の13人・大河ドラマ館の展示解説より
8.4に同じ
9.4に同じ
10. 坂井孝一「承久の乱-真の『武者の世』を告げる大乱」(中公新書、2018年)
11. 9に同じ
12. 2に同じ