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【映画レビュー】ボディ・ホラーの巨匠クローネンバーグの初期傑作「ビデオドローム」

公開当時には試写で本作を鑑賞した批評家から"SUCKED"と酷評された事でも有名なクローネンバーグの「ビデオドローム」だが、今とはなっては映画史にその名を刻むボディ・ホラーの傑作と評価されている。そんな本作なので自分は勿論大好物。敬愛して止まないホラーの巨匠クローネンバーグの「ビデオドローム」について今回は話していきたい。


〜あらすじ〜
ポルノを放送するケーブルTV局の社長マックスは、「ビデオドローム」というスナッフビデオを観たことから幻覚を見るようになる。この幻覚はビデオドロームを観ることで起きる物であり、脳腫瘍のように人間の脳を蝕み、最終的に死に至らしめるものであると知る…。

本作もクローネンバーグの多くの映画と同じく、テクノロジーと人間(人体)の関係について描いた映画だと言えるだろう。

映画の中盤、マックスの腹部に穴が空き、そこに自分自身で銃を挿入するシーンがある。この身体に空いた穴は、観客に否が応でも女性器を想起させるデザインだ。そこに男性器の象徴である銃が挿入されるのだが、銃は無機物である上、このシーンでは自分自身で銃を穴に挿入している為、自慰行為を意味していると思われる。

その後のシーンでは、この穴にビデオテープが挿入される。つまり、ビデオを観る(テレビを観る)、ビデオの内容を自分の中に取り込むという行為が、自慰行為と同じ構造を持っているかのように描かれているのである。
テレビで観たいものを観る事は自慰と同じであるが、その自慰は自分の体に銃=死を取り込む事なのだ。

そうして、身体に取り込まれた銃は後にマックスと結合し、マックスはその銃で自分の会社の重役を殺してしまう。ビデオドロームをケーブルTVで流す為にマックスは操られているのだ。このシーンで彼の手と銃が結合する描写も、彼がケーブルTV局の社長なのを考えると納得だ。銃は"死の種を撒く道具"であるからだ。そして、ビデオドロームをテレビで流す事は多くの人を死に導く。「死の種を撒く道具=ケーブルTV」であり、それが彼の手中にある事を象徴している表現に感じられる。
このマックスによる殺人はビデオドロームに操られてとった行動である。
メディアが人々を洗脳し、危険行為をさせる、人を死に至らしめる。ビデオやテレビは使い方によってはそれくらい危険な物だとクローネンバーグは警告したかったのではないだろうか。

そんなメディアと人間の危険な構造に主人公が気付くのがビアンカを殺しに行くシーンだ。テレビに銃を向けるとテレビ画面から銃を握った腕が伸び、発砲するとテレビの銃も自分に発砲するという幻覚を見る。テレビには自分の胸が映っており、同じ所に弾が当たっている。ビデオ(テレビ)に操られていた彼は、ビデオ(テレビ)によって自分が殺される危険がある事に気が付く。

その後、主人公は自分に人殺しをさせたビデオドロームの関係者を殺害し、逃亡してしまう。逃げた先には存在するはずのないテレビがあり、画面には彼が観たかったであろうものが映っている。それが彼に語りかけ、彼は結果的に自殺してしまい、ここで映画は終わってしまう。
彼も気付いていたはずである。自分が観たいものをテレビやビデオで観て、その内容(或いはその製作者・関係者)に操られる事が自分に"死の種"を植え付ける事を。しかし、それに気付いていたとしても彼は逆らう事が出来なかったのだ。

テレビやビデオを通して自分達の観たいものばかりに触れることは"自慰行為"と同義であり、それと同時に、その内容(やその背後に存在する人物)に操られる事は自分自身を殺すこと、自分の思考を毒することに繋がる危険性がある。そして人間はその暗黒の構造に気付いたとしても、その時には既に誘惑から逃れられない所まで来てしまっているのだ。
この映画を通してクローネンバーグが描こうとしたテレビメディアの危険性とはそのようなものだったのではないか…。

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