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【三井寿にしか見られない光景 編】振り返り

前章では、バスケフェスティバル「デサフィアンテ」にて、
ノブナガフレンズVSシルバフレンズの試合が決定。清田信長、桜木花道、宮城リョータの3人が参加決定している。


このタイミングで登場したのは、三井寿。プロローグではインターハイ終了後、引退せず残りウインターカップにのぞむも敗退。

敗退後も

バスケやめたくねぇよ」

と燃え尽きていない姿が描写されました。
そしてその後がここで描かれます。

敗退後もシュートの打ち込みをする三井に手を差し伸べたのは、安西でした。

「三井寿にしか見られない光景」編に主に登場したのはやはりと言っていいでしょう。

安西光義です。

安西の大学監督時代の教え子である星山が来シーズンから企業バスケット連盟、CBAリーグ「川部製作所」の監督になり、シューターを探していることを聞きつけ、三井をトライアウトに推薦。

インターハイ山王工業戦でMVP級の活躍を見せた三井寿、2年間のブランクものびしろがあると考え獲得する。

晴れて、進路が決まった三井寿。

企業バスケット連盟のCBAリーグとあって、仕事との両立との壁もあり、ルーキーイヤーは出場なしに終わる。

シーズンオフに安西の下に訪れると、
かつての安西の教え子である谷沢龍二を引き合いに出し、基礎の重要性を説く。

湘北の台所事情もあり、2年間のブランクがあるのにも関わらず、基礎の積み上げをせずに試合に出場させたことを謝り、現在はルーキーで焦らなくていいと助言する。

翌シーズンに公式戦デビューを果たすと、徐々にCBAリーガーとして板につくようになる。

23歳シーズンにカップ戦を優勝し、キャリアハイの成績を残し、翌年24歳シーズンは、得点王を狙うと公言し、意気込んだ三井寿。

しかし、そこに待ち受けたのは、膝の怪我の再発だった。

栄光と挫折の歴史は繰り返された。

入院中の三井を見舞いに訪れた安西。

安西は、今があの2年間の経験を活かす時だと、

「負けたということに負けないこと」
「怪我を乗り越えた先の光景は、三井寿にしか見られない光景」
「どんな結果になってもその光景を伝えてほしい」

そう伝え、三井は今までとは違う種類のモチベーションを持つ。


リーグ最終戦に復帰を果たした三井。

ルーティンとなったシーズンオフの湘北での安西との練習中。

膝の怪我はアスリートのとって致命的であること、

再発、手術を施した自身のコンディションが戻らないのでは?

と不安な表情を見せる。

その三井の表情を汲み取った安西は、

もし今までのように動けなくても違うやり方で強くなれるはずだと、

海南の神宗一郎を引き合いに、チームに牧紳一のようなペネトレイトを求める。

そして

シュートの飛距離を伸ばすことで

自身もチームも助けることができると三井に助言する。

復活のシーズンが開幕。

しかしチームも結果が出ず、気が付けば開幕連敗が続き後がない状況に追い込まれる。

三井は、裏天王とも言える1戦に星山監督にスタメンを直訴、スタメンが決定した。

その決戦前夜、偶然、安西に出くわす。

勝利へのアドレナリン注入には十分だった。
勝利の報告を必ずすると約束する。

裏天王山にスタメン出場を果たした三井は、

オフに習得した長距離スリーポイントシュートと代表経験のあるチームメイト、杉村直也のペネトレイトを武器に激戦を繰り広げ、

最終局面では、三井のブザービーターで勝利を納めることに成功。

試合終了後、興奮冷めやらぬ三井は、約束通り、安西に報告の電話をかける。

しかしそこで待ち受けたのは、

安西光義の急死

という衝撃の事実だった。

「三井寿にしか見られない光景、、、こんな光景だけは見たくなかった。」

と泣き崩れた。

シーズンオフ、安西の墓の前で、安西に報告する。

膝が痛むこと、そして何より、
三井寿の経験をたくさんの人に伝えてほしいと言う安西の言葉がそれを決断させる。

「三井寿、25歳、バスケ引退します。」
「小学教師になろうと思います。」

初めて出会ったのが15歳、
三井寿と安西光義の10年、原作以後のストーリーを描かせていただきました。


そして現在、

バスケフェスティバル「デサフィアンテ」の試合のメンバーに三井寿は加わる。

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