総理大臣のいない国家、それが日本!!(憲法夜話)16
なぜ、福田官房長官は「辞表」にこだわったか?
たとえ総理大臣が大臣をクビにしても、その命令はただちに効力を発しない。
天皇の任免があって、はじめてそれは効力を持つ。
これはややもすると「重箱の隅をつつく」議論だと思われがちだが、実は非常に重要な問題をはらんでいる。
たしかに首相官邸から皇居までは、クルマで行けばせいぜい10分のことであろう。
大臣の任免という重大時なのだから、周辺道路を皇宮警察が封鎖するのが普通で、もっと早く皇居の中に行けるかもしれない。
陛下の前に任免の書類を提出するまでの所要時間は、まあ長く見ても30分と言ったところか?
しかし、その30分の間に、もし、クビを切られたはずの大臣が自分の役所に戻って官僚たちに独断で命令を出したとしたら・・
はたして、その命令は適法か?違法か?
これは大変な問題である。
たとえば、じゃじゃ馬外務大臣が怒り心頭に達して、「まだ私は外務大臣よ!」と叫んで、外務大臣として特別声明を発したとしたらどうなる?
たとえば、アメリカとの国交断絶、あるいは北朝鮮の前面支持、そういった声明を外務大臣名で出す。
はたして、それを止めたり、あるいは否定する法的根拠はどの辺にあるのか?
そう質問してどう答えるのだろうか?
この問いに対して、おそらく切れ者揃いで知られる内閣法制局は、いろんな理屈をこしらえては、この「前外相の暴挙」の法的根拠を潰そうとするだろう。
だが、それはあくまでも内閣法制局見解であって、慣例や判例として確定したものではない。
というのも、戦後、新憲法になってから、本当の意味での大臣の「罷免」というのは例が少ないのである。
マスコミなどが報じる大臣の「解任」というのは、あくまでも文学的表現であって、実はそのほとんどは大臣のほうに辞表を提出させているのである。
しかるに、例の田中真紀子外相の場合は、そうではなかった。
平成14年1月29日深夜、田中外相の解任劇では、福田官房長官が外相に対して「この紙に署名をしてくれ」とさかんに迫ったという。
これに対して、田中外相は「今はサインをしたくない」と言って、そのまま官邸から退出した。
この記事を読んでない人には、なぜ福田長官が署名をさせたかったのかさっぱりわからない。
官房長官は田中真紀子ファンで、彼女のサインが欲しかったのかと誤解する人だっているかもしれない。
しかし、この記事を読めば、その意味はよくわかるはずだ。
官房長官がしきりに署名をせがんだのは、大臣の辞表に他ならない。
つまり、解任されたのではなく、彼女が自主的に辞任したという形をとりたかった。
そうすれば、彼女がその後、何をしようとしてもそれを封じ込めることができる。
辞表という物的証拠さえ得ていれば、法的に見ても怖いものはなくなる。
ところが、その事を知ってか、知らずか、田中外相はサインを拒んだ。
福田官房長官、そして官邸スタッフの青ざめた顔が想像できるのである。
憲法の欠陥を“実証”した田中元外相
野球ファンなら良く知っていると思うが、かつて江川卓投手が巨人軍に入団する時に「空白の1日」騒動というのがあった。
1977年のドラフト会議でクラウンライター・ライオンズ(現・西武)にドラフト指名された江川卓投手が入団を拒否、翌年のドラフト会議前日に巨人と契約したので世間は驚いた。
指名権の有効期限が「1年間」と規定してあったことに着目して、有効期限が切れ、次のドラフト会議が行なわれるまでの、わずか一日の空白期間に江川選手は巨人軍と契約したのである。
たしかに、これは規定の盲点をついたものではあったが、合法的であることには間違いない。
事実、すったもんだはあったが、江川投手は結局、巨人に入団した。
野球のドラフトに「1日の空白」があっても、それはデモクラシーとは何の関係もないが、憲法に「空白」があっては一大事!!
もし、クビにされた大臣がその空白を使えば、デモクラシーや議会政治を揺るがすことも決して不可能ではない。
事実、田中外相を小泉首相がなかなか解任できなかったというのも、この空白を意識していたからに他ならない。
誰が見ても、田中外相は良い諾諾と辞表を書くような人物ではない。
もし、更迭ということになれば、そこに空白が生じる。
それを恐れるがゆえに、首相官邸は容易に彼女をクビにはできなかったというわけだ。
幸いなことに、今回、田中外相は「空白の数分」を利用することはなかった。
むしろ、現行憲法の欠陥を実証したという意味では、田中外相の最大の功績だったとも言えなくもない。
だが、今後もそのような幸運が続くとは誰が保証できるだろうか・・
つづく
【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)
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