総理大臣のいない国家、それが日本!!(憲法夜話)最終章
日本の憲法は「首相の不在」を許している
江戸時代に日本を訪れた朝鮮の使節は、天皇と将軍が並立する日本の政治体制を見て、「いったいどちらが元首なのか?」と首をひねったというが、こうした制度を見れば、天皇が元首であることは明らかである。
事実、幕末にペリーの黒船がやってきて、日本に開国を迫ったとき、幕府が天皇の指示を仰がねばならなかったのも、天皇が日本の主権者であったからに他ならない。
あくまでも幕府は主権者である天皇から内政を委託されているだけであるということは、幕府のほうもよくわかっていたのである。
さて、そこでもう一度、現代の日本に戻ってみよう。
はたして、現憲法下の内閣総理大臣が元首であるかどうかについて、日本の憲法学界では議論百出して、結論は出ていない。
ここでは、その議論の細かいところまで踏み込まないが、その権力に空白が生じるか否かだけに限ってみれば、総理大臣が元首であろうはずはない、
何しろ、戦後の日本では総理大臣がいないという事態が何と1ヶ月以上も続いたという前例があるのだ。
まるで徳川将軍と変わらないではないか?
昭和55年(1980)6月12日、当時の大平正芳首相が心筋梗塞で急死した。
時あたかも衆議院が解散され、総選挙のさなかである。
さあ、どうする?
総理大臣は死んだが、衆議院は解散され、国会は開けない。
首相指名の決議は不可能である。
これが普通の国なら、ただちに副総理なりが自動的に総理大臣に就任するところである。
が、この日本では総理大臣が指名されないまま、1ヶ月以上も過ぎてしまった。
ようやく後継の鈴木善幸内閣が発足したのは、7月17日のことだった。
つまり、35日間、日本は総理大臣のない国であったわけである。
これ、まさに世界に類のない奇妙奇天烈な事態であることは言うまでもない。
だが、このようなことが起きたのは無論、憲法の規定に従っているからに他ならない。
それにしても、総理大臣が1ヶ月も存在しないとは恐るべき事態である。
たとえば現在の法制では、内閣総理大臣が自衛隊の最高指揮監督権を持つ(自衛隊法第7条)。
その内閣総理大臣が空位のとき、もし外患があって自衛隊が出動する必要があったら、どうなる。
指揮官のいない自衛隊は張り子の虎と同じである。
戦前の軍隊は非常時の場合、独断専攻で動ける余地が残されていた。
その余地を利用して、戦前は軍が暴走したわけだが、これに対して、戦後の自衛隊にはそのような裁量権は認められていない。
最高指揮官たる総理大臣の命令がなければ、自衛隊は基地から一歩も出られないようになっているのである。
戦前も戦後も変わらない「総理大臣の重み」
戦前日本には、内閣総理大臣はいなかった。
いや、いることはいたが、憲法上にその根拠を持たなかったがゆえに、昭和に入るとその欠陥を衝かれて、軍が暴走するようになった。
かたや戦後の日本には、内閣総理大臣はいるのか?
いるようでもあり、いないようでもある。
たしかに、現行憲法には内閣総理大臣の規定はある(第66条ほか)。
明治憲法に比べれば、ずっとましのように見えるが、戦前の内閣総理大臣は独断専行で意思決定を行うことはできない。
「行政権は内閣に属する」(第65条)ので、総理大臣はかならず全閣僚の同意を得なければならない(第66条3項)のである。
これだけでも、総理大臣の権力は著しく狭められているというのに、その上に総理大臣は部下であるはずのヒラ大臣のクビを好き勝手に切ることができない。
名目上は、たしかに総理大臣には大臣の任免権はある(第68条)。
だが、大臣を罷免するためには天皇の国事行為が不可欠であり、そこに「空白」が生じる恐れがある。
この空白を考えると、どうしても罷免は慎重にならざるを得ない。
はたして、このような中途半端な権限しか持たない総理大臣が、本当の総理大臣と言えるか?
そのことは、現行憲法が総理大臣の空位を許していることでも明らかだ。
もし、総理大臣が真の意味での最高意思決定権者であるならば、総理大臣の不在は絶対に許されない。
そうなった瞬間に、日本の行政システムがストップしてしまうはずだからである。
ところが、現実の日本は1ヶ月以上も総理大臣がいなくても平気な国である。
ということは、現在の総理大臣は戦前の総理大臣と五十歩百歩ということになるのではないか?
官僚たちの抵抗を抑える最後の切り札は「政治家の覚悟」である
「本立ちて道生ず(もとたちてみちしょうず)」(『論語』学而)
物事は根本さえしっかりしておけば、あとは自ずから道が開けるという意味である。
しかるに、今の日本は、「本」となるべき総理大臣の椅子はガタガタ、グラグラしている。
これでは憲政という「道」は生じるべくもない。
「其の本乱れて、末治まる者は否ず(そのもとみだれて、すえおさまるものはあらず)」(『大学』経一章)
本が乱れれば、みずから末端は治らなくなるという意味である。
役人が跳梁跋扈し、日本の政治を簒奪しているのも当たり前ではないか。
直属の大臣に刃向かって平然としていられる。
不心得な外務官僚が現れても当然である。
さらに付け加えれば、戦前の日本には自分の命を賭して、事に当たる政治家が存在した。
これもまた見逃せない要素である。
憲法とは所詮、生き物である。
活かすも殺すも国民次第、政治家次第。
戦前の憲法は欠陥が多かったが、本物の政治家がいた時代は其の欠陥が露呈せずに済んだ。
高橋是清、井上準之助は自らの信じる道を歩んで、結局、暗殺された。
だが、彼らにとっては、それは予期していたことであり、殺されても本望と考えていた。
高橋や井上が官僚たちを思うままに動かせたのも、そうした覚悟があったからに他ならない。
維新の嵐をくぐり抜けてきた元老が消え、高橋、井上らが次々と暗殺され、日本の政治家が暗殺の恐怖にすくみ上がったときに、明治維新もデモクラシーも本当に死んだと言える。
しかるに、戦後の日本ではそのような政治家が消えてしまった。
暗殺されても「男子の本懐」(浜口雄幸首相の言葉)と言えるような覚悟を持った政治家は今や一人もいない。
田中角栄を最後に「政治家らしい政治家」は絶滅してしまったようである・・
おしまい
【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)
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