総理大臣のいない国家、それが日本!!(憲法夜話)14
「龍騎兵の靴は、常人の足には大きすぎた」
すでに何度も繰り返し強調しているように、憲法というのは生き物であって、いかに優れた憲法であっても、それを活かす土壌や環境がなければ、たちまちに腐り果てる。
腐り果てるぐらいならまだいい方で、かつての名憲法がかえって国家に害をなすことだって少なくない。
その好例が、明治憲法における総理大臣問題である。
伊藤博文があえて明治憲法の中に総理大臣の規定を入れなかったのは、総理大臣に権力が集中することを恐れたからだと言われている。
初代総理大臣となった伊藤としては「ドイツやイギリスのように首相に巨大な権限を持たせれば、凡愚の人物や、あるいは野心家が首相になったとき、大変なことになる」と思ったのである。
だからこそ、あえて総理大臣の権限を明確にしなかった。
この伊藤の考えは、確かに正しい考えだと言えるだろう。
龍騎兵の靴は、常人の足には大きすぎた!!
こう嘆いたのは、ドイツ帝国皇帝のウィルヘルム2世であった(龍騎兵とは16世紀欧州で活躍した騎兵のこと、突撃時には騎馬で、防御時は下馬して戦った)。
ドイツ帝国はビスマルクが一人で作ったと言っても過言ではない。
ビスマルクなくして、ドイツ帝国はありえなかったろう。
だが、問題はあまりにもビスマルクが偉大すぎたことであった。
ビスマルクの偉大さは、この限られたスペースでは語り尽くせないほどのものである。
プロイセン宰相の就任から数えると足掛け28年にわたって首相を務めたビスマルクは、内にあってはドイツの統一を成し遂げ、外に向かっては普墺戦争(1866 普=プロイセン 墺=オーストリア)、普仏戦争(1870〜72)で輝かしい勝利を収め、しかもその後もヨーロッパ外交の主人公であり続けた。
このビスマルクがいたおかげでドイツは偉大な国にもなれたわけだが、この結果、ドイツの体制はみな龍騎兵ビスマルクの足に合う靴になってしまった。
帝国宰相の権力が巨大で、これに対して帝国議会の力があまりに小さいのも、その一つである。
大変なこと、面倒なことが起きれば、大宰相ビスマルクに任せたほうがうまく行くのだから議会なんて立派である必要はない。
議員のほうだって、そのほうが楽というものだ。
ところが、その大ビスマルクが引退してしまった。
考えるだに恐ろしいことではないか。
ドイツでは国家の大事はすべて帝国宰相の双肩にかかっている。
国家の大事が起きたとき、その宰相が小者であったら、ドイツ帝国はどうなるのか?
その恐れていたことが、ついに起きてしまった。
1914年 第一次世界大戦勃発!!
このときの帝国宰相はベートマン=ホルウェーヒである。
帝国議会は一致して彼に全権を委ねた。
もし、これがビスマルクであったとしたら、それはまさに名案であった。
戦争に船頭は何人も要らないばかりか、かえって邪魔である。
代議士連中はさっさと布団に入って寝てしまい、あとは天才ビスマルクに任せておけば安心なのである。
ところが、帝国宰相と肩書きは立派でも、ベートマンーホルウェーヒ首相の指導力はビスマルクとは月とスッポン、雲泥の差、戦争の間中、周章狼狽のしっぱなしで、何一つ名案が考えつかない。
かくてドイツ帝国は滅び、ウィルヘルム2世は亡命せざるを得なくなった。
同じ憲法であっても、ビスマルクがいれば国家繁栄の礎になり、ベートマン=ホルウェーヒだと「つまずきの石」になる。(笑)
同様に、明治憲法も元勲がいたときはうまく機能し、日清戦争も日露戦争も勝てた。
国力も発展し、デモクラシーも徐々に成熟していった。
もちろん、総理大臣の指導力は隆々としていた。
ところが、元勲がいなくなったとたんに日本はおかしくなった。
総理大臣には人事権がなくなり、ついに軍部が暴走し、日本は敗戦に突き進んで行ったのである。
つづく
【参考文献】『日本国憲法の問題点』小室直樹著 (集英社)
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