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「クープランの墓」メヌエットによす


夜のカーテンは月の光より薄い
みんなどこへ行ってしまったの?
 
バルコニーに出るとほの白い書き割りの世界
黒い森は風もないのにかすかに身じろぎし
光の粉まぶされた湖の深みで
がらくたのたからのつぶやき泡になる
 
城には庭があり
庭の隅には井戸があり
井戸の底には月の光がしたたる
輝く水の中に
誰かが落とした手鏡が沈んでいるはず
 
誰か教えてほしい
私はいつからここにいるの?
 
私の裾は長く
引きずって引きずって
レースの襞に見覚えのないものたちが
踊り踊るうちに絡みついて
それらは私の憧れでもあるだろう
誰かたちの抜け殻でもあるだろう
そして全て 城の記憶であるだろう
 
ろうそくの明かりも届かない
城の芯の奥の底の裏で
まぶたを開けたり閉じたりしているのは なに?
 
今 膝丈のさっぱりしたスカートをはいて
私は顔をあげ 月の光を受ける
思い出の影が洗い流されたら
鐘楼に上ろう
よそよそしい扉たちのどれか一枚でも開けることができたら
朝が私を迎えてくれるから

https://youtu.be/9D1bUN47bP0?si=8rlpVu9oUet_qOBn

 
ラヴェルのピアノ曲で好きなのが、『クープランの墓』。
その第5曲「メヌエット」からイメージした世界を詩にした。
最初に書いたのは去年だが、間を置いて寝かせ、「発酵」させてみた。
 
『クープランの墓』に出会ったのは、最初は父のレコードだった。小学校高学年ごろか。
レコードセットについてきたと思われる100枚組のクラシックレコード。
戯れに時々かけていた中でハッとした一曲が、「リゴードン」。
『クープランの墓』の第4曲だった。


なんておしゃれな曲なんだろう。光と影と緑、生命力にあふれた村人の踊り、輝く水の流れ。
それがどうしても好きで、高校生になってからギーゼキングのラヴェルピアノ曲集CDを買った。
2枚組の1枚目、最初が『クープランの墓』だった。
全曲、最高に私好みだった。
山奥から迸る清冽な水が無人の都に流れてくる「前奏曲」。
霧深い広い湖に浮かぶ帆船が、岸によせるさざ波が見える「フォルラーヌ」。
氾濫する水が街を浸し、急流が渦巻いて破滅を告げる「トッカータ」。
 
それぞれの曲から喚起される私だけの映像があるが、他者と共有する術がない。なんとか近いものを、と試みたのが冒頭の詩もどきである。
 

「メヌエット」の絵は、高い尖塔を持つヨーロッパ風の城。
静かな月夜である。
全体に穏やかで愛らしい曲だが、
中間部に、ひた ひた と迫るような不協和音がこだまする。
それはしだいに沈潜し、地下深く、人知れず息づく何ものかの存在を想起させる。
 
メヌエットは舞踏曲だが、この城には人がいない気がする。
かつての絢爛な舞踏会を思い出しながら一人回廊を歩く少女(お姫様なのか? 小間使いなのか?)を主人公とした。
 

詩で表現したかったことを後から説明するほど野暮なふるまいもない。
詩人ってすごい、と小学生並みの感想を蛇足ついでにつけ加えておく。
 
 
『クープランの墓』は全曲通して聴いても25分程度なので、ぜひご一聴いただきたい。
私はピアノ版に思い入れがあるが、ラヴェル自ら手がけたオーケストラ版(4曲抜粋)もある。

 


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