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複雑怪奇な私の心。そして核。

それは突然やってきた。
待ち焦がれていた楽しい日々。
友達とお酒を飲んで夜通し遊んで、家でわいわい。

まるでノリと勢いとタイミングから成り立ったような関係だ。
たくさん話せてたくさん笑えてたくさんボケられてとても楽しい!
その上、そのままの私で良いと言ってくれる。そのままが素のままが面白いんだって。

純度100%の楽しい気持ちじゃ私はnoteを書かない。
なぜならその瞬間はその時を、その時期を全力で楽しんでいるから。
私がnoteを書くのは、何かを考えたときや感じたときなんだ。

いつもそうなんだけど、楽しいの絶頂に達したときは必ずと言っていいほど揺り戻しが起こる。まるで自分のテンションの水準を守るかのような。
今回も来た。それが今だ。自分を守るように、自分を戒めるように今書かなくてはいけないと思ったのだ。そう、学期末レポートで源氏物語の姫君について論じようと思ったときに…。

私は1人でいることがつらくはない。例えば、ずっと予定が無くて遊ぶ人がいないといった「1人」はつらいが、1人の時間が必要だし必要となれば1人で行動できると思っている。
しかし、1人でいることはさみしいとは思う。一人暮らしは孤独だ。家に人がいたらいいのにっていつも思う。
家に人がいるとすごく安心するし、堕落せずにある程度自分の生活を保てる。

問題なのは、ここ最近は充実感から安心しきってしまったことなのだ。
簡単に言うと、ずっと人と一緒にいたから一人が怖い。
何にも変わらない日常なのに孤独感に襲われてしまうみたいな。
絶賛友達の家にいて自分の家に1人ぼっちというわけではないのだけれど、友達(家主)がバイト(私の元バイト先)に行ってしまった今、なんかとてもさみしい…??

1人の時間は本当に大事だと思う。
ふと一息つくと自分のことを客観的に見るきっかけになるし、内なる声に耳を傾けなければ自分の中から自分がいなくなってしまうと思う。
結局私は私なのだから一番私とうまく付き合わなければならないのだ。

最近はそれがなかったから、久しぶりに自分と会って少し気まずくなっている。
当たり前だけど、環境や周りの人が違うとその場の空気感や自分の雰囲気は変わる。これは大袈裟に人によって態度を変えているわけではなく人はいろんな側面を持っているからだと思う。このことについては以前に「この手は、誰の?(2020年12月18日)」という題でnoteを投稿しているから関連して読んでみてほしい。
人間は多面体。みんなそうだ。

多面体の中に揺るぎない核があるのと、そうじゃないのではその多面体の強度が変わってくる。

楽しいと危ないことは、自分を忘れてしまうことだと思っている。核をなくしてしまうこと。流されるのは、違う。

ノリだからって同調しなくていいし、意見は素直に伝えるべき。私生活も大切にするべきだから、強要もない。
私の周りは良い人たちだから受け入れてくれるのかな。
あとは受け入れていくれる人としか関わらないという※処世術。

人のことを大事にしたいとは前にも書いたことがある。
根本はこれでいたい。
今回言いたいのは、同じくらい自分のことも大事にしたいということ。

1人の人間って表裏一体だけど、いろんな細胞があっていろんな感情があってとても複雑な生き物だから自分のことちゃんと考えてケアしながらうまく付き合っていかなくちゃね。

久しぶりに自分と会って戸惑ってたから、整理するためにnote書きました!
あんまり言語化できないような気持ちをクチャクチャ書いたからあまり人から見て分かりやすい文章ではなかったと思うけど、読んでくれた方がいたらありがとうございます!!

少しすっきりしました。
それでは最終レポートの続きに戻ります!

※「処世術」のことずっと「ショヨジュツ」って読んでた。変換したときに出てこなかったから調べてみたらまさかの「ショセイジュツ」!
間違いに気づけてよかった(笑)

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