
得られる者と得られない物
富、名誉、物、愛…
何を得られたら嬉しいですか?
うまくいく時期というのはきっと欲しいものが得られたときや定めた目標がなし得たときでしょう。
では、欲しいものが手に入った時、満足でしょうか。
いいえ、私は貪欲です。
五体満足でも物が欲しいです。物が手に入っても人からの気持ちが欲しいです。仲の良い友達がいてもさらに交流を増やしたいです。
欲しいと思っていた時はそれが満たされれば十分と思っていても、満たされたからにはその先をどこまでも望んでしまいます。
はたまた、同時に手に入れることが難しいこともあります。
期待をされいい子であることが求められている時期ははっちゃけて遊んでる楽しそうな友達が羨ましかったし、自分が気楽に生きて遊んでいる時期は大人や周りの人から評価されている人が死ぬほど羨ましかった。
人の上に立って先陣切ってみんなを引っ張らなくちゃいけないときはただ着いていくだけで同じように着いていってる仲間とわいわいしているみんなが羨ましかったし、自分がそのみんなのときは集団仕切って慕われる長に強い憧れとほんの少しの嫉妬をもっていた。
二極化したときに両方の立場でいられることはできないからどっちかにいる時もう片方が本当に羨ましくて、自分もそうなりたいと思ってしまう。
なりたい自分になれた時、それと同時になりたい自分が出てきてしまう感覚です。
どっちもってわけにはいかないからそれぞれ場所の立ち位置で得られる特権を楽しんでいけたらいいと思う。
得られる者はなんでも得られるわけではないのだ。
得られる者に得られない物ーーそれこそが、得られない者に得られる物なのかも知れない。