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少なくともの四則✖️子息な想い。無駄が効率感をたっぷりもたらすんじゃない?

算数であれ、数学であれ、

【少なくとも】の確率問題

では、語りなおしをできるかが最初の関門。

というよりも、そのことばがどういう意味を持つのか?を文で類義的に理解できなきゃ、この問題は絶対に解けない。時間制限もつくテストならなおさらだ。

【少なくとも〇〇である】🟰全体事象数➖【絶対に〇〇になることはありえない事象数】/ 全体事象数

式で書けばここにおさまるんだけどさ。

欠けたものー喪失したものーあきらかに〇〇とはなりえないものを求めても、解けるんだ。

当然、少なくともに入る全条件の事象数を求めても全く構わない。

構わないからこそ、どちらも同じことをしているという理解が大切になってくる。

解いているベクトルは正反対の向き。
しかし、解いているものは同じ。

こんな不思議に当たり前なこと、日常にも専門にもあふれてるんじゃないかな🧐

どちらでも解ける方がいいよ。
だって、、
その方が喪失を用いた引き算の解き方に
【効率さー便利さ】をより実感できるのは、

【どちらもの解き方で何度も解く練習をした者に限られる❣️】

と想うから。

片方だけでしか解かない人に、その片方の効率さは感じとりづらいだろうからね。

まぁ、ぜりー的な思いではありますが💙

たった1つの問題であっても、日常理解へと反映できるかもしれない。

読解ができるかどうかは、数学の確率問題を解けるかどうかでも、一部見ることが可能かもしれない。

とおもうぜりーなのでした😊

それはいつの時代の、
いつの子息たちであっても共通するかもしれない。

ふとおもったんだ。
数学が解けないのなら、国語もできない可能性が高いんだ。
逆も然りだと想うよ。

理系ー文系で区切れない理由がここにある。
読解という面において、全教科共通かも😊



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ぜりー
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