他人事を自分事にしたいときがあっても、それでいいじゃん。※ドラマ感想・・ネタばれ多少あり※
「しょせん他人事ですから」のドラマの最新話をみた。
デジタルタトゥーに苦しんでいる、10年前に事件を起こした加害者と被害者。
消しても消しても・・・第三者が中傷する。
ちゃんと自分事にしたとき、、、
自分がもし同じ状況に陥ったとしたら。
加害者側であろうとも、
被害者側であろうとも、
両者を誹謗中傷するとかできないはずなんだ。
もちろん、加害者側がやったことで許されることじゃないものもたくさんある。
弁護士という名の第三者として関わる主役がテレビ番組で言っていたこと。
被害者側であっても、
加害者側であっても、
弁護士以外の第三者であっても、
痛くそして、確かにと共感できるものが多かったなぁ。
【もっと、自分にとって大切な人に、時間やお金をかければいいじゃんか。】
痛感したよ。
第三者にもいろいろ種類があるんだと思った。
他人の不幸は蜜の味とか、ドラマで言ってた、、。
自分の不幸を暴かれて晒されたとしたら。
第三者の人、当事者になった瞬間はちゃんと怒れるはずなのに。
いつどこで、自分が当事者になるかわかんないのに。
ミスをしない人間もいないし、完璧な人間もいないってことが理由。
これらは、誰もが共感できるはず。
ところかわって。
加害者と被害者の人たちがね・・
「互いに、謝るのって難しいね。こんなことになるなんて。」と言ってた。
気にしないという努力は、敢えて言い換えていけば、行動にうつせるかもしれない😂
自分のために
大切な人たちのために
守りたい人のために
より時間やお金や体験を使う。
という言い換えに。
確かに、ぜりーが足りないところだった。反省。
自分が本当の意味で第三者であると意識している人は、、もしかすると、、
勝手なことを言ったら、加害者の人も被害者の人も同時に傷つける可能性があることをちゃんと知っているんじゃないかな。
知らないことほど、こわいものはない。
ニュースや誰かからだけ見聞きした情報が、すべてを知らせているとは限らないし。
そういう意味では、第三者の匿名の誹謗中傷は、匿名を特定されやすくもなった時代だから、、、自分勝手に悪いことをしづらくなったとも言える。
ごめんとか、
こわいとか、
不安だとか、
つらいとか、
疲れたとか、
悪口でもなく、
誹謗中傷でもない、
ネガティヴなことをもっと言いやすくなればいいのに。
このネガティヴってことばはね、本当にポジティヴになるための前座みたいな・・うーんと種みたいなもの。
言わないと自分の身体のなかで・・毒がまわりながらその種子が植物となって成長して・・人間の生長や生命力や光を妨げている気もする。
人間は言語化していくことで、身体内で咲かせたらまずいものを昇華できるのかもしれないね。
だから、華が昇ると書くのかも・・昇華。
消化にもなって、、消火にもなって、唱歌にもなって、しょうか三昧( ´艸`)
っていうしょうもないことを考えていたのは・・
毒吐かない(どくづかない)ための昇華ってことで。
毒龍ちゃんも横で・・「すやすや」してるんで・・それでいいみたいっす。
なんのはなし?これ?( ´艸`)