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台湾漫遊鉄道のふたり(sideB)

久々に小説を読んでそれが良い本だったので記事を書きました。
内容によってはネタバレになってしまう場合の記事はなかなか難しい。まあ、そのために #ネタバレ  タグがあるわけですが・・




今作品の記事を書いたのち、タグを参照して他の方が書かれた記事を読んで、あれ?と思ったのが、最後に向かってのくだりがいわゆるハッピーエンドではないという解釈をされているものばかりだったこと。
どこか、読み落としてる、もしくは読み違えた?

確かに、中盤から出てくる「能面のような笑み」という表現は千鶴の感情を表しており、それを主人公も見ている、としている。主人公もそう感じてはいるがそれがなぜなのか、どうしてこちらに来てくれないのかわからない、というところが、この話の一つの主軸だと。
千鶴も最初はビジネスの主従関係として接しているが、やがて通訳という仕事だけでなく、講演や食事の手配、千鶴子が行きたいという場所へのダイヤを調べ、本島のお菓子を用意し、さらに、11章では各方面からの苦情などの窓口までおこなっていたと出てくる。
本当にビジネスだけの関係であればこんな事はしないだろう、千鶴がなぜここまでやってくれていたのか、にもかかわらず、10章で離れてゆくのか。そして11章での美島との会話で千鶴子は自分の盲点にたどり着く。

私の心の中にあるこの気持ちは、やっぱり事実です

12章 蜜豆氷

あとがきにある通り書き足された12章に出てくるこの「事実」とは何か。

ストーリーの流れで言えば、彼女たちはハッピーエンドを迎えることが期待されていたと思いますが、私の答えは違いました。

訳者あとがき

確かにこう書いてあるのですが、自分は12章の終わり部分を読んで、「これでハッピーエンドではないの?」と。

内地人と本島人の間に、平等な友情は成立しないのです。

12章 蜜豆氷

植民地政策とはそもそも、他国を自国のものにすることであり、自分たちの文化を生活を持ち込み、そこを塗り替えること。大航海時代におけるキリスト教の布教はその最たるもので、「神の教えを広げることにより、未開の地に住む人々を幸せにする」という一方的な傲慢思想であり、そこに罪悪感も、壊される側の理解などそもそもない。そんな中で人としてどう理解し合えば良いのか。

「なんでも聞いてくれる通訳の本島人としての千鶴は本当の千鶴ではない、本当の自分を見せていないのに友人になることはできない。とあるが、先のビジネスを超えて様々なことをやろうと思ったこと、「しょうがないですね」と言いつつあれこれをやってくれるのは本当の千鶴が出てきたところではないか。雇い主が言ったから仕方なくやったのか、別の感情でやったのかは、民国79年訳者あとがきを読めばわかる。

時代は移り、世界情勢も大きく変わった現代において、台湾は親日国と言われる。が、果たして心の内はどうなのだろう。それも白、黒というものではなく、様々な濃淡がついたグラデーションだと思うが。

さまざなな切り口で読める小説だが、人と人の話としてみると国間だけでなく、普段の人間関係でも対等な関係というのはどうすれば築けるのかと考えさせられる内容だと思う。

千鶴が孫に日本語で「何か長く話しかけた」のはなんと言ったのだろう。


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らんさぶ
街歩きがさらに楽しくなるものがあるといいな