R・チャンドラーの「長いお別れ」をいかに楽しむか
「長いお別れ」には 清水訳、村上訳とそれぞれある。清水訳を読んだのはこれまた随分昔。それから数年して村上訳が出版されて話題になった。この前にも書いたが、手に取ったのは、ハードボイルドというジャンルに興味があったからだが、その時は何がハードボイルドなのかが全然わからなかった。
この本はピックアップしたセンテンスについて両者訳を並べ、それに著者自身の訳をつけている。どちらも読んでいるとはいえ、時間も随分経ち、比較することなどできなかったが、こうして並べると、その違いがよくわかる。
まず、清水訳が1行で収まっているものが、村上訳では3行あったりと、情報量が全然違う。文字数による優劣ではなく、それをどれだけの言葉で表現しているかが違うところ。多くの言葉で詳細な情報を開示するか、抽象度をあげて、読者の想像力を掻き立てるか。両者の訳のスタンスの違いというところか。
エッセイという形で内容についての話が載っていると思っていたが、訳者の解釈によりストーリーに対する印象がどのように変わるのか、となっているように思った。センテンスごとに訳を並べる形なので、これでストーリーが見えてくるわけではないので、まず、いずれかを読んでから手に取る本ということになる。まあ、いきなりこの本から入ってくる人はいないか。
個人的には、なぜタイトルに「お」が入っているのだろうと思っていた。が、どうやらこの2者の訳以外に田口訳というのが出ているらしく、こちらのタイトルには「お」が入っていない。こちらの翻訳はミステリーとして訳を行ったとのこと。ハードボイルドなマローには痺れるが、ストーリーが今ひとつどんなのだったか??となっている人も多い気がするので、こちらも手を出してみたいと思う。
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街歩きがさらに楽しくなるものがあるといいな