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おばあちゃん、大好きだよ

おばあちゃんの三回忌があった。身内だけのもので、且つ急に決まったこともあり、母と叔父さん、そして私だけで行った。

最初にお墓を掃除して、お寺の中に入りお経を読み上げている最中にお焼香、話を聞いてまたお墓へ向かって手を合わせる。そんな流れだった。

和尚さん(と呼んでいいのか分かっていない)が、「私には霊感というものはありません。でも、周りにいる方は必ず『肉体はなくなってしまっても、魂は必ずある』と言います。なので、みなさんのことを見守ってくれているはずです。」と言っていた。

「何かをして悩んだ時、〇〇さん(おばあちゃん)だったらなんて声をかけてくれるだろうかとか、毎日仏壇に手を合わせて〇〇さんを思い出してください。」

おばあちゃんの家には仏壇があるが、私の家にはないため、小さい頃に撮った写真を印刷して額縁に入れて飾って手を合わせようかなと思った。もちろん、おばあちゃんのことは今の今まで忘れたことはないけれど。

三回忌を終えた後におばあちゃんちへ行き、服の整理を手伝った。「着れるものとか使えるものがあれば持って帰っていいよ。おばあちゃんも喜ぶと思う」と母に言われたため、大きなクローゼットと棚に入っている服を何枚が受け継ぐことにした。

今の私と同じように、おばあちゃんも柄物が好きだったようでその日に厳選できたものでも10枚以上あった。柄シャツ大好きなのはおばあちゃんゆずりなのかもしれない。

その中で一目惚れをしたセットアップとそれにピッタリ合うシャツを見つけた。秒で貰うことに。


母はおばあちゃんがこれを着ている姿を見たことがないそうで、きっと若い頃に着ていたんだろう。状態がかなり良く、新品といってもおかしくなかった。

受け継ぐことにしたシャツはほとんどに肩パッドが入っていた。年代を感じる。母が生まれる前に買っていたものだとしたら50年は前になる。

また、おじいちゃんは服をデザインしてミシンで作る仕事に就いていたらしく、おばあちゃんに作っていたサマーニットが何枚も見つかった。おじいちゃんとおばあちゃんは仲が良かったんだなと孫ながらに思う。

一つ、グレーのジャケットが目に留まり試着をしてみた。なんだか重みを感じるなと、ふとポケットの中を見ると何か入っている。
飴玉2つ、メンソレータムのリップ、ポケットティッシュ、そしてベルトが千切れた腕時計だった。

緑色の文字盤に、宝石のようなガラスカバーがしてあるシルバーの腕時計。針は止まっていたが、秒針は動いていた。

母に見せると、「おじいちゃんが着けてたやつだ」と懐かしそうに見て、泣いていた。母にとっては大切な父と母だったんだろうなと改めて思い、「古いやつだから修理は難しいかもしれないけど、持って帰りなよ」と伝え、大事そうに鞄にしまっていた。

服は電車で来ていたこともあって持って帰れる分は少なかったが、その日に選んだものは分けて部屋に置いてある。他にもきっとあるはずだからもう一度行こうと思う。母だけで整理するには大変なのもある。

でも、やっぱり家の中に入っておばあちゃんがいないとなるとまだ実感が湧かない。まだ生きているんじゃないかと思ってしまう。シンとしたリビングで母と私物も整理しようと色々見ている時、私が小さい頃におばあちゃんがよく使っていた化粧箱を見つけ、開けた。

開けた部分が鏡になっていて、そこにはおばあちゃんと母、まだ幼稚園くらいの私と兄が写ったプリクラが貼ってあった。撮った記憶が蘇り、ここに貼ってくれていた嬉しさと寂しさが混ざって泣きそうになった。

その化粧箱からブラシで塗るリップを見つけ、幼い私の唇に塗ってくれていたことも思い出す。あぁ、文字を打ち込んでいる今、涙で画面がぼやけてきた。

おじいちゃんもおばあちゃんも、私たち兄妹をとても可愛がってくれていたらしい。いつになるか分からないが、同じところへ行って会えるなら沢山話がしたい。

母にとって私には想像もつかないほどの悲しさがあるはずだ。その娘で、孫である私でさえも未だに涙は出る。実感もほんの少ししかない。そんな母を支えられるのは私の役目だ。もちろん、父も兄もいるが多分一番色々と話を聞いているのは私なんだろうなと思っている。

母には苦労をかけさせてしまっている。大人になった今もだ。精神疾患にならず健常でいられて仕事を普通にできていたらもっと親孝行を早い段階で出来ていたはずなのにと自責の念に駆られる。

「おばあちゃんが元気な時よく言ってた。『なるようにしかならないんだから考えてても仕方ないんだよ』って」

真理だ。それはそうとしか出てこない。悩んで不安でいっぱいになっても、考えていたって変わらない。私には不安を払拭するために現状をどうにかせねばと焦る癖がある。けど、焦って失敗してきた結果が今だ。おばあちゃんの言葉を脳内で反芻していきたい。

もう一つ。「強く生きなきゃダメよ」と電話で話した時に言われたことがある。それが最後のおばあちゃんとの会話だったと思う。きっとその頃には体の調子が悪かったはずなのに、私のことを心配してくれていた。元気になった私をおばあちゃんが生きているうちに見せたかった後悔はある。

しかし、目の前のことをこなして生活をするというのが精一杯だ。その時も、今も。だからせめて空から見てくれているのであれば、出来るだけ元気に過ごしたい。そう考えた一日だった。

読んでくださりありがとうございました。
また来週!

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