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アブラゼミさんとのおしゃべり

夏といえば、蝉の鳴き声。
前日まであんなにうるさかった蝉の声が、昨日の朝、リーン、リーン、という声に取って代わっていた。

秋だ。

蝉さんは、何を思って真夏を生きているのだろう。

お庭に出ても蝉さんが見当たらなかったので、アブラゼミさんの集合意識にお話を伺うことにした。

私「アブラゼミさん、アブラゼミさんって声がとっても大きいですね。どうしてそんなに大きい声なのですか?」

ア「あなたが声と呼んだものは、私たちの輝きなのですよ。地上での命を最大限に、どんな存在よりも派手に表現するのです。私たちは夏の太陽のように、どんな存在よりも喜びを大きく表現するのです。」

私「そうなのですね。蝉さんは地中での幼虫時代を何年も過ごして、地上での寿命は1週間って聞きますけど、それについてはどう感じてますか?」

ア「1週間がどれほどの時間なのか、私たちにはよく分かりません。土の中で過ごす時間に比べ、私たちの地上での時間が短いとあなたは思っているかもしれませんが、私たちは時間が長いとか短いとか、そういうことはあまり感覚として持っていません。」

私「時間の感覚って、あんまりないんですね。人間的な感覚だと、そんなに長い時間地中にいるのに地上での寿命がそんなに短いなんて、なんだか儚いというか、そんな風に思ってしまうのですが。」

ア「暗い地中で年月を過ごす私たちは、誰よりも太陽の輝きを知っています。」
(喜びと誇りを混ぜたようなこの言葉に、不意に涙が出てしまった)

暗い地中での年月の後真夏の地上に出てきたら、それは全てが眩しいだろう。
それは地中での長い年月があってこそ、言える言葉なのだ。

ア「だから私たちは仲間と大きな音を出して、太陽に呼応するのです。太陽に近い存在になるのです。輝くのです。」

私「そうなのですね。地上でもっと長く生きたいとか思わないのですか?」

ア「私たちのような生き物(昆虫さん)は、体のリミットが決まっています。そのリミットまで ”生きている” をするだけです。それ以外を望むという性質は、私たちには備わっていません。」

「”生きている” を、する」か。

私「体のリミットとは、死のことですよね?」

ア「そうですね。(軽い返事)」

ここで伝わってきたのが、人間が持つ死のイメージではなく、モビルスーツの使用期限、みたいな感覚だった。エネルギーが切れるまで、フルパワーで活動し続ける。そんな感じ。

成長過程で脱皮をする昆虫にとっては、死も脱皮の一環のようなものなのかもしれない。

人間の死生観より、だいぶシンプルな感じだ。

私「アブラゼミさん、ありがとうございます。もっといろいろお話ししたい気もしますが、今日はこれで十分な感じです。お話し聞かせていただけてよかった。」

今朝も晴れているけど、アブラゼミさんの声はしない。

声を聞いたら、

「私たちは誰よりも、太陽の輝きを知っています。」

という言葉を思い出すだろうな。











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