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公営ギャンブル「性善説」への疑問

◎競馬をはじめ公営ギャンブルに全く興味のない筆者が考え込んだ1週間だった


 このたびJRA所属の人気女性騎手が、待機する調整室でスマホを使用したことで騎乗停止処分を受け、その結果引退したというニュース。今どきの若い人にとってスマホは身体の一部で物理的に引き離すのは無理だとか、レース前の僅かな時間を遮断出来ない選手などそもそも資格なし等、賛否両論あるが、同選手に限らず処分を受けた選手の続出に、もはや性善説が効かなくなっている感がある。

競馬以外の公営ギャンブルへの素朴な疑問

 競馬の場合、馬のコンディションに左右される要素もあるだろう。しかし、競輪・競艇・オートレースの場合、それぞれ機材を用いても最後に操るのは人であり、その技量次第で勝つことも負けることもできる。究極的には単に人が徒競走で勝負する「競人」だって可能だろう。よって、人馬一体で勝負する競馬よりも性善説が求められると筆者は考える。それを形式上維持できるのは日本人くらいではないか?外国では人頼みのレースに賭けをする発想は無く、きっと八百長が横行して競技が成立しないだろう。
 これはもうスマホ登場以前からの仕組みの問題で、筆者の長年にわたる素朴な疑問だ。

なり手を求める公営ギャンブルCM

 近年、テレビでは盛んに公営ギャンブルに関するCMが流れる。どれもイメージ重視で、賭け事に費やす余裕や興味のない若い世代に向けたものになっている。それだけ、いわゆる若者の〇〇離れの一種なんだろうと思う。
 更には競輪やボートレースは、選手になれば夢や希望があるという訴求内容で、なり手を求めている。

本音と建前で成立する我が国

 我が国にはギャンブルを公営で制御することの他、ホンネとタテマエで成り立つ事柄が色々ある。パチンコしかり風俗しかり。なぜ直接換金が出来ず、浴場や飲食店を装い売春を営むのか。しかしそれは、歴史の紆余曲折から導き出した日本人の知恵ともいえる。更に、今後はIRという名の公認カジノが、容易く予想される悲劇(依存症や犯罪)を経ながら定着していけるのか試される。
 性善説とは何ぞや、そして人間の欲望をどのように自律していくのか、古今東西のテーマは永遠に続く。


(以下随時追記)

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