その人が表れる言葉が好き
スミレの花が咲くこの頃になるといつも思い出すのは、
数学者 岡 潔 のこの言葉。
この「はしがき」をずっと読んでいる。
読み切れなくてずっと読んでいる。
読んでいると呼吸がしやすくなってくる。
なんでだろう。
春の野に、群れ咲く一面の草花。
吹き渡る風にそよいでいる。
わたしは一輪のスミレになり、ただ存在する喜びを思い出す。
「はしがき」を読むたびに、そんな心地になる。
人の中心は「情緒」である、「スミレ」のように咲けばよいと、言う人。
こんな言葉を使う人は、どんな人なんだろうと思う。
春宵十話(しゅんしょうじゅうわ)を読んでいくうちに、
この人のこと好きだなと思う。
文庫本の裏表紙の紹介文には、岡潔は “数学者として世界的な難問を解き天才と呼ばれた” 人で、この本は “日本の文化を培ってきたのは自然に根差した「情緒」であり、戦後急速に西欧化が進む中、その伝統と叡智が失われることに鋭い警鐘を鳴らす。本質をみつめる精神の根底を語る代表的名著。” とある。
この字面だけを読むと私にはハードルが高いと思うのだけれど、それに雲の上の人なんだけれど、岡潔の言葉でつづられたこの本は居心地がよい。
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「数学の想い出」という章のこのエピソードを読んで、私はひどくうれしくなった。
アラームが鳴っても起きたくない朝
窓の外の鳥の声々が聞こえてきて、よし起きようって気持ちになったり、
足取り重く会社に向かっているとき
ハナミズキの花が咲いているだけでなんだか慰められたり、
毎年同じ場所に咲くキュウリグサやヒメオドリコソウやオオイヌノフグリにうれしくなったり、
カラスが巣作りのため針金ハンガーをくわえて飛んでいるのをみると元気がでたり、
クスノキの自己剪定(必要に応じて自ら枝を落とす)をみて気持ちを新たにしたり、
掘り返された土に草花がまじっていて、なんというか豊かさ恵みのようなものを感じたりする。
まだ本を読み終えていないけれど、
岡潔の使う「情緒」という言葉は、自然からもたらされているものに、
そのことに自然に響く心、その心の動き、のような意味合いに思う。
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同じ章に、自身の数学的素養について、中学の頃 “応用問題はあまりうまく解けなかった“ といい、同じような素質が時間を隔ててあらわれる例としてフランス留学中のエピソードが語られている。
自分の研究テーマがその分野のオーソリティである教授と同じだったこと、その結論が教授と真反対だったこと、それが判明したとき “耳まで真っ赤になり、テーブルに顔を伏せたまま上げられなかった“ こと、
その出来事について “私はこの日の情景を、両教授の思いやりにあふれた態度とともに、あざやかに覚えている。”と締めくくっている。
さらりと書かれているけれど、
自身の「スミレ」に気づいた瞬間なのだろう。
その後の章で、”フランスでの数学上の仕事といえば、専攻すべき分野を決めたことだけ” といい、それを選んだ理由は “山にたとえれば、いかにもけわしく登りにくそうだとわかった” からという。
そして、“私についていえば、ただ数学を学ぶ喜びを食べて生きているというだけである。そしてその喜びは「発見の喜び」にほかならない。”と語っている。
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ああ、やっぱり好きだな。
その人がその言葉を使うから心に響くんだ。
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