【和訳しました】Butthole Surfers/Dracula From Houston
自分は、己の語学力アップを主な目的として、週に一度、洋楽の歌詞の和訳をnoteに上げています。今週はバットホール・サーファーズの「ドラキュラ・フロム・ヒューストン」を訳しました。
前々から「この曲のサビの歌詞はいいなあ」くらいの事をぼんやり考えていたのですが、いざ真剣に訳してみようと思ったらもう気が狂いそうになる位に難解な内容であり、それが原因で金曜に発表予定であったこの文が月曜の発表へとズレ込んだ次第です。この二日間、本当に誰でもいいから俺を助けてくれと思いながら「この"could"とは何なのか?」「この"at"は?」とか、そういう事だけを七転八倒しながら考え続けていました。クリスマス前に自らの孤独を直視せずに気を紛らせる事ができて良かったです。
バットホール・サーファーズは1981年にテキサスで結成されたバンドです。筆者に物心が付き、所謂ロックミュージックに興味を持ち出した時には既に「狂気の集団」みたいな扱いでロック雑誌等に取り上げられてはいたのですが、確かもうその頃にはアルバムの「エレクトリックラリィランド(1996)」が発表されていました。
そこから狂気を読み取る為には受け手にかなりの感受性が要求されるであろう、取り敢えず一般人には真っ当なロックとしか思えない楽曲が収録されている作品です。そして、自分の住んでいた田舎ではバットホール・サーファーズがメジャーデビューする以前の、「パンクとサイケデリックの融合」と評される音楽性の時期の作品へとリーチする手段が何もありませんでした。なので当時の筆者は、「ライブ中にボーカルが散弾銃を撃った」とか「メンバーに犬がいる」みたいな情報と、あとは「ボアダムスのEYEがあれだけ絶賛しているのだから、狂っているのだろう」みたいな、"現地からの情報や他人からの評価ありきのイカれたバンド"としてバットホール・サーファーズを捉えていた気がします。
しかし、メジャーデビュー以前の音源には確かに狂気、というか薬物の過剰摂取で感覚がおかしくなってしまった人間が有する視覚や聴覚の片鱗が散りばめられており、それは「ヤク中が這いずり回っている地獄を疑似体験したい」という聴衆の欲望を存分に満たしてくれるものです。この音像は、「ライブ前にLSDを振りかけたコーンフレークを食っていた」とツアーに同行していたクレイマー(レーベル"シミーディスク"のオーナー)によって証言された様な、荒れ果てた生活をしていた人間達にしか生み出せないのかもしれません。
(メンバーのポール・ラリーは後のインタビューで「クレイマーは話を盛るのが好きなんだ」と件のエピソードを否定していますが、つまり、盛られていないレベルでLSDやマリファナは嗜われていたのでしょう)
Butthole Surfers/Day Of The Dying Alive
「ドラキュラ・フロム・ヒューストン」は、今のところ彼等の最後のアルバムである「ウィアード・レボリューション」に収録されている楽曲です。今回この曲を訳するにあたりいろいろとバットホール・サーファーズの事を検索して調べたのですが、この「ウィアード・レボリューション」は、元々「ザ・ラスト・アストロノート」というタイトルでキャピトル・レコーズから出す予定だったアルバムが、レーベルとの訴訟によってリリースが宙吊りになり、数年後に内容をリミックスして別のレーベルから出した物、であると知りました。ポール・ラリーは先に貼った"AVE | CORNER PRINTING"のインタビューにおいて「あのアルバム(ウィアード〜)を作るのは、とても辛い経験だった」と語っています。
その「ザ・ラスト・アストロノート」の中には「ドラキュラ・フロム・ヒューストン」を思わせる様な楽曲は入っていません。つまりこの曲は、アルバムを発表する機会を無くして失意のドン底にいるメンバー達が、どの様な結果になるのかも分からないリミックス・アルバムの為に描き下ろしたものだ、という事になります。
Butthole Surfers/Dracula From Houston
未来は無くて 偉大な過去だけ
俺のグラスの縁に腰掛ける小さな男
飛行機に間に合わないと 俺の猿を迎える為に
そいつに格好付ける事を教えないと
それと少しばかりファンキーである事を
俺に名声は無くて 何も怖く無かった
そしてビールを買う為の数ドルを持っていた
俺が言った言葉を 医師に診断して貰わないと
そして自転車を手に入れて それを赤く塗らないと
ああクソ、もう行かないと
永遠に生き続けるつもりも無いしな
どうして俺達は死んでしまうんだろう?
まあ、向こうで一緒になる為だろうな
さあ、さあ、言わないと
救世主にはなれなかったって
君がここにいる必要は無いんだ
だって 俺はもう絶対に家に戻りはしないからさ
3フィート下に沈むスローモーションの難破船
俺は散歩をしながら最良の奴等と話していた
俺は皺が寄って萎びて足を踏み外し
ディーラーと相対しながら賭けに毎日負け続けた
俺は気分屋かつ極悪で無能で悲惨だった
考えていた 俺は無敵、最悪の中の最悪であると
で、ある朝俺は起きて ベッドから抜け出し
自転車を手に入れないといけなかった
そいつを赤く塗らないと
ああクソ、もう行かないと
永遠に生き続けるつもりも無いしな
どうして俺達は死んでしまうんだろう?
まあ、向こうで一緒になる為だろうな
さあ、さあ、言わないと
救世主にはなれなかったって
君が寂しく思うのは知ってるよ
だって 俺はもう絶対に家に戻りはしないからさ
頭がおかしい
(俺は狂ってる それが俺なんだと君に伝えたい)
ジャニス・イアン、カーティス・メイフィールド、
レスリー・ゴーア、ヴィダル・サスーン、
(頭がおかしい 俺は狂ってる
それが俺なんだと君に教えたい)
どう思う?俺をどう思う?
これをしようとしている俺を?
(頭がおかしい 俺は狂ってる)
俺は月でそれを聞いて、こうするつもりだ
君は俺をどう思う?
(それが俺なんだと君に伝えたい)
レベル・ジョー、ウィギン・ジェーン、
彼奴は何処に行くつもりだ?
そして頭ってやつは何処にいっちまったんだ?
(頭がおかしい 俺は狂ってる)
Es de noche, enchilada, pinche cabrón dí por nada
(さあ、夜だよ、エンチラーダ、
バカ野郎 何も言うんじゃない)
ああクソ、もう行かないと
永遠に生き続けるつもりも無いしな
どうして俺達は死んでしまうんだろう?
まあ、向こうで一緒になる為だろうな
さあ、さあ、言わないと
救世主にはなれなかったって
君がここにいる必要は無いんだ
だって 俺はもう絶対に家に戻りはしないからさ
暗闇から抜け出し 不信と共に凝視した
俺は後悔の念に駆られてバスーンを習い始め
だいたい六年をかけてかなり上達し
二、三杯のビールの為に演奏を始めた
そして ある日俺はギグに出演し
猿と一緒に 数人の友達を連れて散歩に出た
彼奴がすぐに来て言った 「これこそ君の未来だ」
「君は自転車を手に入れ それを青く塗るだろう」
ああクソ、もう行かないと
永遠に生き続けるつもりも無いしな
どうして俺達は死んでしまうんだろう?
まあ、向こうで一緒になる為だろうな
さあ、さあ、言わないと
救世主にはなれなかったって
君が寂しく思うのは知ってるよ
だって 俺はもう絶対に家に戻りはしないからさ
一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一一
不思議な歌詞でありながら、初期の頃とは打って変わり、曲としてはとてもまともに整理されています。バットホール・サーファーズを抜けたボーカルが新しく始めたバンドの曲だと言われても事情を知らない人なら普通に信じるでしょう。
この曲の独特の寂しさは、「赤く、もしくは青く塗られるであろう自転車」、その元の色、というか姿が一切描写されていないという点に起因していると自分は思います。「未来は無くて 偉大な過去だけ」というフレーズで始まるこの曲は、実際には"礎になるべき過去"こそが喪われており、ただ"その都度、その時"に起こった出来事を連続して書く事で構成されているのです。そこには、元のアルバムにリミックスという「塗り直し」を施さないといけない、元のマテリアルの幾分かは切り捨てないといけないという作業自体を、悲壮な眼で見つめているメンバーの視線を感じる事ができます。
この曲の時系列は良く分かりません。その中で、最初のヴァースと最後のヴァースは、いくつかの共通点がある状況を歌っています。猿がいて、ビールを買う為の数ドルがあり、自転車を塗らないといけない。どちらが先に起こった出来事か分からない、ということは、この二つの出来事はどちらも"起こり得る可能性のある未来"なのだと考える事ができます。最後のヴァースでは歌い手は猿と会い、彼奴と会う、つまり"みんなが一緒になっている"世界に居る訳ですが、それを「受け入れられた死」と解釈する事も可能な訳で、「俺は自転車を青く塗るだろうが、自転車を赤く塗るであろう俺も何処かには存在する。そして、自由とは、"自転車を何色に塗るか"程度の物でしか無く、それは友人達との触れ合いの様な(温かな)死によって更新される程度の些細な物、単に偶然に左右される位の物でしかないのだ」という静かで穏やかな主張を、自分はこの曲から感じました。
この曲でバットホール・サーファーズは、この世に存在しない「ザ・ラスト・アストロノート」、"赤く塗られる筈の自転車"を、実際に存在する"青く塗られるべき自転車"、「ウィアード・レボリューション」と同等の箇所へと置いたのでは無いでしょうか。死別した双子の兄の墓を自らの作品のジャケットとしたエイフェックス・ツインの様に。
「ドラキュラ・フロム・ヒューストン」の明るい曲調が示すのは、どうにもならない別離を暖かく肯定しようと決めた、生と死の彼岸を垣間見た薬物摂取者達の穏やかな覚悟であると自分は思います。
この曲を訳しながら、やはりドラッグに耽溺していたウィル・セルフという作家が活動初期に書いた「北ロンドン死者の書」という短編を筆者は思い出していました。街を歩いていた主人公が死んだ筈の母親と会って嬉しい気持ちになりました、といった内容で、普通に考えて麻薬でぶっ飛んでる状態で散歩していたウィル・セルフが見た幻覚を小説だと言い張っているだけだろうという気もするのですが、この世の果てまで行き着く程に薬物を摂取した人物の書く文章には、「死」という残酷な事実すら包容する暖かな視線がある事も事実です。日本だったら村上龍とか。本人は死に対して無力なままなのですが。そういう人間が書いた文はいいなあと改めて思いました。今バットホール・サーファーズのボーカルのギビー・ヘインズは青年向けの作家になっているらしく、普通に作品を読んでみたいですね。あと"Let's go to hell"っていうサーファーズの伝記とか。
と、いろいろ書いた所でこの文を終えたいと思います。最後にサーファーズのメンバーのポール・ラリーのソロで俺の好きな曲、「イズ・イット・ミッキー」を貼ります。
paul leary/Is It Mikey
いい曲ですね!それでは、また!数日中に何か書くと思います〜