練習なしで大阪ラソンを走った
2月25日に開催された大阪マラソンを走ってきた。あのハルキ・ムラカミやシンヤ・ヤマナカを夢中にさせるフルマラソンとは、なんぼのもんじゃいと漠然とした興味はあったのだが、実際に走るにはなかなかハードルが高く敬遠していた。そうしたところ、偶然の機会に恵まれて大阪マラソンの出場権を得た、いや、得てしまった。ホント、棚からぼたもちみたいな感じである。
初マラソンがかの有名な大阪マラソンになるとは、実にありがたいことだ。出場が決まった翌週にスポーツ用品店へと赴き、タイツやウェア、靴などマラソンアイテムを一式揃えた。よし、物は揃った。走ろう。そう決意して数回はジョギングをしたものの、なにせウェアを履くのがめんどくさすぎて合計2回(計5キロ)のジョグで練習にピリオドが打たれた。なお、2024年に至っては500メートルくらいしか走っていないと思う。
そんな状況の中、開催当日の朝を迎えた。カーテンを開けると、無慈悲にも冷たい雨が地面を打ちつけていた。練習なしで大阪マラソンに出場しようとする愚か者に対して神様が怒っているのかもしれないし、慈悲深い神の涙が地面を銅鑼のごとく打ち鳴らし、すべてのランナーを鼓舞しているのかもしれなかった。あるいは、単なる気象現象に過ぎないのかもしれない。まあ、なんでも良いのだが、とにかく外気は冷たく、ワクワクが高まる反面、率直に「まじかよ」という本音が漏れた。
御堂筋とJR線を乗り継ぎ、スタート地点である大阪城公園に向かう。同じ車両に何人もの同志を見かけて、気分が高まった。会場に到着すると、男子更衣室を探す。が、見つからない。なにせ初めてだし、そもそも広すぎるから、オペレーションがまったくわからないのである。雨だからなのだろうか、なぜか不機嫌なボランティアスタッフのおばちゃんや、優しいランナーの方に教えてもらいながら、なんとか着替えて手荷物を預けることができた。
手荷物を預け、スタート地点に向かう。けっこう遠い。途中、トイレに並んだり、写真を撮ったりしながら、のそのそとスタート地点に整列。最終ブロックだったから、整列した後もかなり待った。冷たい雨に打たれる自分を、「ショーシャンクの空に」のポスターに重ねたりした。そうこうしているうちに、ぞろぞろと列が動き出す。ん?移動かな?と思っていたら、それがスタートだったらしく、気付かぬうちにマラソンが始まっていた。
途中10キロまでは意外と安定したペースで走ることができていたと思う。雨で湿度が高かったから、息も切れることなく順調に走れた。が、10キロを過ぎるとページをめくるかのように状況が一変した。呼吸器は問題ないのだが、脚がずきずきと痛む。歩きと走りを交互に繰り返し、なんとか20キロ地点まで到達。この時はまだ関門時間(この時間までに関門地点を通過しなければ、失格になってしまう)に対して30分〜40分程度の貯金があったから、けっこういけるかも?と思ったりしていた。
20キロ地点を過ぎたところで、トイレに行く。本当はもっと早く行きたかったのだが、どこのトイレも大行列。比較的空いていた公園のトイレで用を足す。走っている時はそれほど寒さは気にならないのだが、止まると本当に寒い。全身の震えを感じながら、力を振り絞ってコースに戻る。それにしても、本当に脚が痛い。てか、動かない。寒い。痛い。コースの端に示されている案内板は22キロを指している。まだ後20キロも走らなければならないと思うと、心がぽきっと折れそうになる。
早過ぎず、遅過ぎず、安定したペースで走ってるランナーの背中を借りながら、力ずくで足を動かす。全身の震えが止まらず、歯はカタカタと音を鳴らす。30キロ地点まで到達。20キロ地点まではリタイアも頭をよぎったが、30キロまで来てしまうとゴールしたいという欲が出てくる。ゴールするぞ。ゴールするぞ。足を引きずりながら走りと歩きを繰り返していると、後ろの方を走る運営車両から何やら声が聞こえてくる。「関門閉鎖まであと10分ですよ」。街頭からも、「まだ間に合う!歩いちゃダメだ」との声。向こう側には収容バスも見える。やばい、やばい。
力を振り絞り、なんとか関門を突破。折り返して反対側のコースに目を向けると、関門を突破できなかった人たちが収容バスの窓からわれわれをじっと見つめていた。手を振るわけでもなく、ひどく落ち込むわけでもなく、ただじっと見つめていたのだ。ふいに自身の目頭が熱くなってきていることに気づく。彼らは最後尾クラスタとして、30キロまで走ってきた仲間なのだから。バスに揺らされるあなたのためにも完走したい。そう決意を改めた。
その矢先に立ちはだかるのは、約4キロ先の関門。「キロ10分ペースで走れば間に合う。頑張れ」と沿道から檄が飛ぶ。なんでこんなにも関門あんねん!と毒づきながら、とにかく歩く。もう、走れない。30キロを超えると、エイドや給食が本当にありがたかった。ふだん何気なく食べているブラックサンダーや山崎パンが、特別な食べ物のように感じられた。アクエリアスも、水も、こんなにうまかったっけ。ボランティアの方や沿道の応援に支えられながら、とにかく歩みを進めた。
折れそうになる心を格闘していると、沿道からブラスバンド部の演奏が聞こえてきた。音楽には人の心を動かす力がある、というのはあまりに手垢のついた言葉かもしれないが、その意味を確かに噛み締めた。ボロボロになった身体に、ブラスバンドの音色が降り注がれる。なんとも表現し難い多幸感に包まれて、気づいた時には涙が頬を伝っていた。
絶対に完走するんだ。感慨に浸りながら足を動かし続けていると、ふたたび後ろを走る運営車両のマイクから通達が。「前を走っている皆様方、赤い収容通告車に抜かされた時点で失格です。気をつけて走ってください」。後ろを振り向くと、確かに赤色の車が迫ってきている。こちとら24時間テレビのタレントランナーみたく感動的なランを噛み締めていたのに、感慨も台無しである。最後尾クラスタの中に、緊張感と連帯感が生まれる。なんとしてでも、次の関門を越えなければ。
沿道に立つ運営スタッフが叫ぶ。「みなさん、関門閉鎖まであと5分ですよ!走れば間に合う!諦めないで!」。そう言われたら、走るしかない。激痛に悶えながら、なんとか走る。前も、後ろも、右も、左も、周りを走る全ての最後尾クラスタのランナーは苦悶の表情を浮かべている。みんな同じ。頑張らないと。関門の場所がはっきりとわからないまま、とにかく走った。関門、どこやねん。隣を走るランナーが、「あの信号のところが関門か」とぼそり。あそこか、あそこまで行けば良いのか。息を切らせながら、関門閉鎖3分前になんとか通過。ふたたび、目頭が熱くなってきた。
それから2つの関門をぎりぎりで抜け、大会開始6時間57分のタイム(実質タイム=6時間26分)でゴールを果たした。大会開始7時間で計測が終了するとのことだったから、本当にギリギリでのゴールだった。やりきった!という感じ。練習ゼロ、初めてのフルマラソンで諦めず完走を果たした自分を讃えたいし、ボランティアや運営のみなさんにも最大の感謝を贈りたい。
とにかく脚が痛すぎて、いつもならひょいひょい上り下りする階段も、一段一段踏みしめながらでないと上り下りができない。自宅までの帰路も大変だったし、1日たった今でも普通に歩くことはまだできない。回復までにはきっと1週間程度かかるのだろうが、それもひとえに頑張った証としてポジティブに捉えようと思う。
もうフルマラソンはこりごりだ(笑)。でも、「また走りたいかも」という本心が胸の中で微かにちらついているのであった。
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