「平均」を求めることに意味はあるのか?(竹村詠美)
教育の未来を考える起業家 竹村詠美のおすすめ洋書! 第7回
"The End of Average: How We Succeed in a World That Values Sameness"
by Todd Rose 2016年出版
『平均思考は捨てなさい』
著:トッド・ ローズ 訳:小坂恵理
早川書房 2017年5月発売
現代社会では「平均」と関わらずに生活をするのは難しい。
日経平均株価、平均年収、坪単価、平均身長、平均体重、偏差値(平均を使って計算されている)など、皆さんの日常でも平均を使ったベンチマークは多いのではないだろうか? 『平均思考は捨てなさい』では、ハーバード教育大学院で「個性学」プログラムを推進する心理学者のローズがその「平均思考」の弊害を論じている。
「平均以上」を取るのに躍起になる現代社会
今やそれ無しでは社会が成立しないように思える平均であるが、実はまだ誕生してから180年前後の概念である。1840年代にベルギー出身のケトレーの発案により、5738人のスコットランド人兵隊の身体測定で、世界で初めて平均が計算された。理想的な兵士の身体特徴を表現するのが目的だったそうだ。
ケトレーの思想では、平均からの逸脱は欠陥の表れだと考えられ、「平均の人間」こそが最も優れて美しいものだと考えられた。今でも健康診断で使われているBMI(Body Mass Index)はケトレーによって平均的な健康状態を測るものとして生み出された。
ケトレーの平均の考えは社会科学者により広く受け入れられ、特定のグループ毎の平均値が「タイプ」という特性として表現されるようになった。「神経質なタイプ」「リーダータイプ」といった具合である。また公衆衛生や物理学などの自然科学分野にも幅広く平均の考えが取り入れられるようになり「平均の時代」が始まった。
その後、ケトレーを信奉したイギリス人のゴルトンにより、平均が理想ではなく、中途半端で特徴の無いものだという見方が広められた。自らが上流階級の出身であるのは優れた人間である証拠だと信じたゴルトンは、人類は進化し続けるものであり、平均を改善し続けなくてはいけないと主張した。裏返すと平均より高い位置にいるゴルトンは優れた人間だと言うことを裏付けたかったのだとも言える。平均から逸脱した人間は上振れも下振れも平均的理想からの「エラー」と考えるケトレーの考え方と真逆の発想である。
ゴルトンは、”Eminent”(最も優れたレベル)から”Imbeciles”(最下位のレベル)まで14のレベルを設定し、認知力が優れている人間は、精神性も体力も倫理観も優れていると主張した。この主張を証明するために現在も使われている相関分析などの統計的な手法を開発したそうだ。この2人の平均と序列の考え方が社会的信頼を獲得し幅広く浸透した結果、現代社会は非常に幅の狭い測定値に対して平均以上の数字を取ることに躍起になってしまったのである。
19世紀後半から産業革命で工場の生産管理が必要になると、この平均の発想はアメリカ人のテイラーによりビジネス界に持ち込まれ、経営コンサルティングが始まった。標準化の時代の始まりである。工場の生産プロセスのそれぞれに目標が設定され、その目標に達成するように仕事をすることが理想とされ、プランニングを行うエリート層と、決められた目標を実行するブルーカラーという区分けが明確になった。
また、アメリカの心理学者・教育学者のソーンダイクにより教育界に平均が取り入れられ、平均の時代における学校や大学が設立された。ソーンダイクはゴルトンに似たエリート思想を持ち、認知能力の高い人間は学校だけでなく社会でも成功する人間だという信念の元、認知能力の高い人間をふるいにかける標準テストを開発した。優秀な生徒や特別支援の生徒など、生徒をタイプ別で異なるコースに分けた方が良いという考え方の始まりである。ソーンダイクにとって学校は、すべての子どもが同じレベルに達成するための場所ではなく、人を生まれながらの才能で篩に掛けるためのシステムだったのである。
個人の能力は「平均値」だけでは表せない
しかし、個人を理解せずに、一定の尺度によってラベリングを行い判断する標準化的発想に一石を投じる学者が現れた。オランダ出身でペンシルバニア州立大学の名誉教授であるモレナール (Molenaar) である。元々は平均主義者であったモレナールは、この発想を「エルゴードのスイッチ」(the ergodic switch)と名付けた。エルゴード理論はもともと物理学の理論で、ガスの量、圧力、ガスのキャニスター1本の温度などを予測することはできたが、分子単位でのガス分子の動きを理解するために考えられた。この理論を作成するために、ガスの分子の平均的な動きが個別のガス分子の動きに類似するという想定がされた。即ち、平均から個別の特徴を炙りだせるという考え方である。しかしこの理論では、すべての分子が全く同じで、将来的にも同じであるという2つの前提があり、この前提はガスにも当てはまらないし、ましてや人間には当てはめられないという平均主義の欠陥をモレナールは指摘したのである。
現在も従業員評価で数値によりランク付けされた指標が多くの企業で採用され、2012年のウォール・ストリート・ジャーナルの記事によると、フォーチュン500の6割の企業が1つのスコアでのランキングを従業員評価で使っていたそうだ。大学入試も標準テストの点数や数値化された学校の成績が米国入試で大きな比重を占めている。一方で、平均主義の欠陥に気づいた企業や大学は、より個人を理解しようという努力を始めている。グーグル、デロイト、マイクロソフトといった先端企業は、2015年の時点でランキングによる評価から脱却もしくは改革を行なっている。
ゴルトンの説は人の優秀さが複数の側面で相関するという前提を持っていたが、科学の進化により、それは間違っていることが証明された。才能、知性、人格、創造性、身体的特徴の1つ1つの相関関係は非常に弱い。身長や体重など評価軸が1つの場合にはランク付けを行うことができるが、複数の側面がある場合には、それぞれの属性は「ギザギザ」(Jagged)なのである。
空軍のパイロットの身体を計測したところ、たったの2%のパイロットだけが、4つ以上の測定値で平均値だったそうだ。そしてすべての測定値で平均だったパイロットはゼロだった。またスポーツでも同様の結果が出ている。NBAの選手を調査すると1950年以来、優秀な選手を測る5つの測定値のすべてで優れている選手は5名しかいなかった。
また同様のギザギザは知能指数や非認知能力においても見られる。グーグルの調査では、出身校や成績、コンテストでの優勝成績とグーグルでのパフォーマンスに相関関係が無いことが分かり、よりポジションに相応しい能力を見極めることが求められている。プログラマーであればケースに取り組んでみるといった具合だ。
一方で、個人の多様な側面での特徴が分かることで、その人の行動を予測することは難しい。マイヤーズブリッグスタイプ指標(MBTI)など人格診断と行動の相関性も9%しか無いそうだ。人格理論の研究で現在分かるのは、その人がどの程度の確率で一定の行動を行いそうだというレベルである。なぜなら人間の行動は状況との相互作用により決まるからだそうだ。
ワシントン大学の正田教授などの研究によると、人間の行動は人格やスキル、才能に関わらず状況によって表出が異なることも指摘している。極端な例として、イエールのミルグラム教授が実施した社会科学の実験によると、被験者が隣の部屋の被験者に電気ショックを与える命令を指示された時に、65%の被験者が、相手の苦しみ度合いにかかわらず450Vの最大値の電気ショックを与えるという結果を紹介している。人間がいかに権力からの命令で動いてしまうかを試したものである。
筆者が大学で自分の学び方にあった教授法の授業を選んだ事で功を奏したという身近な例も挙げられている。正田は「もしXXXなら、XXXする」(If… then) というコンテクスト理解が人間の個人としての行動を理解するために必要だと提唱している。
ちなみに「もしXXXなら、XXXする」(If… then) は、ロボットやソフトウェアに指示を出すプログラミングロジックとして多用されている。私もIf… thenを使ってロボットを動かした事があるが、いかに人間の行動には膨大なパターンがあるのかを思い知らされる経験であった。
教育環境にも「脱・平均主義」を
筆者は、「人はそれぞれギザギザの特徴の塊」(Jagged principle) であり、「行動はコンテキストに依存する」(Context principle) という2つの原理を理解した上で、工業化社会の波に乗り発展した平均主義的な教育と人材育成を見直すことを提唱している。実際採用においても、釣書ではなく、何ができるのかというパフォーマンスベースでの採用を行うことで、隠れた才能を見つける事に成功している人材会社も出てきているそうだ。
また人の成長に1つの成功パターンはないという「経路の原理」(Pathways principle) は、それぞれの人の特徴にあった個別化の重要性を証明している。アドルフの研究では、赤ちゃんがハイハイから歩くようになる為には、25以上のパターンがある事が発見された。
また学習分野でも、小学生が言葉が読めるようになる学習順序として3通りある事がフィッシャーの研究で明らかになっている。アメリカの教育学者のブルームは、子どもたちの学ぶ進度に自由度を与える事で、習熟度が20%から90%を超えるに至った研究結果を発表している。
経路の原理を理解すると、人間は一人一人自分の道を切り開いている中で、道を進みながらさらなる可能性を切り開いている事が分かり、我々一人一人が自分にあった学び方を理解することの大切さに気づかせてくれる。
平均主義を実現するために磨き抜かれたシステムを作り直すのは容易ではないが、先端的な企業や教育機関、自治体などはすでに動き始めている。テクノロジーを活用することで、個別化された教育やリモートワークといった仕事環境を実践する事は容易になってきたが、変化を一人一人にとって実りのある形にするには、平均主義やヒエラルキーの概念を引き出しにしまい、自分の個性と向き合い、自らの山の登り方を考えられる教育環境の提供が最も危急である。
執筆者プロフィール:竹村 詠美
一般社団法人 FutureEdu 代表理事、一般社団法人 Learn by Creation 代表理事、Peatix.com 共同創設者。
1990年代前半から経営コンサルタントとして、日米でマルチメディアコンテンツの企画や、テクノロジーインフラ戦略に携わる。1999年より、エキサイト、アマゾン、ディスニーといったグローバルブランドの経営メンバーとして、消費者向けのサービスの事業企画や立ち上げ、マーケティング、カスタマーサポートなど幅広い業務に携わる。2011年にアマゾン時代の同僚と立ち上げた「Peatix.com」は現在27カ国、350万人以上のユーザーに利用されている。現在は教育、テクノロジーとソーシャルインパクトをテーマに、次世代育成のため幅広く活動中。未来の学びを考える祭典、Learn X Creation (ラーン・バイ・クリエイション) 事務局長、 Most Likely to Succeed 日本アンバサダー、Peatix.com 創業者兼相談役、総務省情報通信審議会、大阪市イノベーション促進評議会委員なども務める。二児の母。