「心理的安全性」の本質を第一人者に学ぶ(篠田真貴子)
「篠田真貴子が選ぶすごい洋書!」第16回
"The Fearless Organization: Creating Psychological Safety in the Workplace for Learning, Innovation, and Growth" by Amy C. Edmondson
Wiley 2018年11月出版
本書は、「心理的安全性」(psychological safety) について、研究と事例を豊富に用いながら述べた本です。著者のエイミー・エドモンドソンさんは、ハーバード・ビジネス・スクールで教える心理学者です。彼女は心理的安全性という概念を提唱して博士号を取得し、以来、長年にわたり研究を続けています。
「心理的安全性」という言葉を数年前からよく耳にするようになりました。2015年、グーグル社が「パフォーマンスの高いチームの特徴」を分析し発表しました。その特徴の第一が「心理的安全性が高い」だったことから、働き方や組織のあり方に関心を寄せる人たちなどに、心理的安全性という概念が広く知られるようになったようです。その後、心理的安全性に触れた様々な書籍や記事に接してきて、私も一定の理解をしていたつもりでした。
私が働いているエール株式会社は、企業で働く人に向けて社外人材がオンラインで1on1、つまり1対1の面談を提供しています。その関係で私は、「聴く」「聴いてもらう」ことが働く人に及ぼす影響について考え続けており、ちゃんと話を聴いてもらうことと心理的安全性は、親和性が高そうだという仮説に至りました。改めて心理的安全性をちゃんと理解して、仮説を確かめたいという意図もあり、本書を手に取りました。
心理的安全性とは何か
実は、「心理的安全性」という言葉はちょっと定義が拡大解釈されがちだなあ…と感じることが、これまで時々ありました。「安全」という言葉から、「私が大切にされる」「否定されない」「みんなが優しく接しあう」みたいなイメージが膨らむのでしょうか。「『心理的安全性の高い組織がいい』などと若い人がぬるいこと言ってる」と苦々しい表情で語る管理職にもお会いしたことがあります。
これは私の周りだけの現象ではないようで、筆者も様々な誤解を受けてきた、と書いています。「心理的安全性は、職場で人当たり良くいることではない。人柄の問題でもないし、「信頼」の言い換えでもない。成果への期待を緩めることでもない」と。
では、心理的安全性とは、なんでしょうか。
筆者によると、心理的安全性がある状態とは、例えば空気を読まずに異なる意見を表明するとか、仕事が出来なくてミスを告白し周りに助けを求めるような行動、すなわち個人としては自分の評判をリスクに晒すような行動をとったとしても、それによって傷付けられたり不利になることはないと信じられる状態です。いつでもアイデアや気になることを言える状態。同僚同士が互いを尊重しあい、本当のことを伝えあうことを責務とさえ感じている状態を指します。
例えば医療現場では、一般的に医師の指示を看護師が遂行します。ここで、患者への投薬指示を見た看護師が、「投与量が通常より多いかも…」と違和感を覚えたとしましょう。看護師は、自分の知識は不確かだし、先生がそう決めたのだから、何か考えがあるに違いない…とやり過ごすのが、自然な態度ではないでしょうか。上下関係が厳しければ尚更です。でも、心理的安全性が高い状態であれば、その違和感を放置せず、看護師から医師に確認するでしょう。医師も「確認ありがとう」と受け止め、万が一、医師自身のミスだった場合には潔く過ちを認めるでしょう。
筆者の研究のポイントは、心理的安全性は個人の資質に依存するものではなく、集団が持つ特徴であることを示したことです。集団の一部の人だけが心理的安全性を感じる、ということはあまりなく、全員の認識が概ね揃うことが分かっているそうです。つまり、元々はっきりものを言う人、責任感が強くいざという時は勇気を出して指摘をしてくれる人も、そうでない人たちも、同じように「この職場は心理的安全性が高い(低い)」と感じるわけです。従って、心理的安全性はマネージャーが主体となって組織に導入し、定着させるべき組織風土なのです。
心理的安全性が高い状態では、率直な反論や建設的な意見の対立は奨励されます。異なる見解から学ぶことを大切にするからです。責任を追求されずに済むとか、プライドやメンツが優先されるようなことはありません。ということは、周りも自分に対して「言いたいことを言う」し、逆に相手が「言ったことを受け止める」ことが必要です。たとえその内容が、自分への反論や耳の痛い指摘であったとしても。
これは、通常の仕事環境に親しんでいる私たちには、結構ハードに感じる状態です。実際、筆者も「職場で同僚や上司からバカにされたくない」という私たちの気持ちはごく自然で、だからこそ無意識に失敗を隠そうとしたり質問を控えてしまうのだと指摘しています。つまり、心理的安全性の高い状態は、自然には起こらないのです。
心理的安全性は、なぜ必要か
では、職場でわざわざ心理的安全性を作り、維持する必要があるのは、なぜでしょうか。それは、心理的安全性が「現代のチームが成果を出すための要件」だからです。筆者は本書でいくつもの観点を提示していますが、ここでは3点紹介します。
1点目は、複雑で相互影響度の高い業務環境のもとで成果を出そうとするチームが、個人の思い込みや視野狭窄から発生するミスを防ぎ、小さなミスを認めてそこからチームが学ぶために、心理的安全性が不可欠だ、というものです。ミスを共有することは、大きな事故を防止し、改善やイノベーションを起こすための重要な要件です。
心理的安全性は「複雑で相互影響度の高い業務環境」で必要になる、と筆者は指摘しています。もし私たちの仕事が、前工程から流れてきたものに特定の作業をして後工程に流すような業務であれば、比較的単純ですし、前の工程の状況に応じて臨機応変に対応する必要もありません。そうしたシンプルな世界では、心理的安全性は必要ありません。
しかし、そんなシンプルな業務は、今日では減ってきているのではないでしょうか。私たちの仕事に求められるコラボレーションの量は、この20年で5割増になったそうです。それは、知識労働の比率が増え、上司や経験豊かなメンバーにとっても初めて取り組むような課題に直面することが少なくないからだ、と私は考えています。過去の経験が必ずしも参考にならないような課題にチームとして取り組む状況は、先の見通しが立てられないし、課題をどう解くかを全員で「カオスの中で」試行錯誤するしかありません。要は、「複雑で相互影響度の高い業務環境」が増えたのです。多くの職場で心理的安全性が必要な理由が、ここにあります。
2点目は、リモートワーク環境では、心理的安全性の高いチームのほうが、同僚が自分のことをどう思っているかという不安が少なく、本音を言い合えるという理由です。そして3点目は、心理的安全性が高いチームでは従業員エンゲージメントが高くなることです。いずれも研究で示された、心理的安全性の効果です。
”It's the difference between playing not to lose and playing to win.(負けないプレーと勝つプレーの違いだ)” と筆者は本書で述べています。心理的安全性が低い状態では、個人は自分が失点をしないように行動しがちです。それをチームを「勝つモード」に変えるために、心理的安全性が必要なのです。
心理的安全性と原発事故
心理的安全性が低い集団、高い集団では実際、どのようなことが起きているのか、本書の事例から見てみましょう。まず心理的安全性が低い事例の一つとして、筆者は東日本大震災における福島第一原発の事故を防げなかった背景に切り込んでいます。例えば、原子力安全委員会において、専門家によって「想定されているより巨大な津波の可能性がある」と複数回指摘があったにもかかわらず、委員長以下の幹部は、それを軽くあしらっていました。心理的安全性の高いチームであれば、こうした声にも聞く耳が向けられただろう、と筆者は指摘しています。
さらに筆者は、国会原発事故調査委員会の英語版報告書の冒頭を引用しています。黒川清委員長が「この報告書では、特に世界の読者に対し、十分に伝えきれなかったことがある。それは、この事故の根本原因が、日本に深く根差した価値観にあるということだ。それは、反射的に従属する、権限を持つ者を疑わない、決まったことをとにかく遂行する、集団主義、内向き志向などの傾向だ」と記した個所です。そして、黒川氏が挙げた傾向は日本固有の問題ではなく、心理的安全性の低い組織の特徴だと著者は述べています
Each one is endemic of a culture with low levels of psychological safety where the internal reluctance to speak up or push back combines with a very strong desire to look good to the outside world. Concern with reputation can silence employees' voices internally as well as externally.
(黒川氏の挙げた傾向の)一つ一つは、どれも心理的安全性の低い組織文化に特有の性質だ。そうした組織では、内においては異なる意見を述べたり指示や提案を押し返すことに強い抵抗感があり、同時に外に対してはいい顔を見せたいという強い願望がある。メンツを大事にするがために、組織の中でも外でも社員の声は消されてしまう。
では、心理的安全性が高いと、どのようなことが起きるのでしょうか。この観点でも本書には様々な事例が分析されていますが、その中から今度は福島第二原発における震災直後の対応を紹介しましょう。福島第二では、海水ポンプが津波によって損傷したため、原子炉からの除熱を行うことができなくなりました。幸い、発電所内には、電源が確保できていたところがごく一部残っていました。そこで延べ9キロメートル分のケーブルを24時間で敷設し、格納容器内に蒸気(熱)を溜めておける時間内ギリギリに海水ポンプの復旧に成功したのです。前代未聞の緊迫した状況の中で増田尚宏所長の対応は、心理的安全性のお手本と言うべきものでした。その要諦は、トップダウン型の強いリーダーシップではなく、情報共有、コミュニケーション、正直さ、そして弱さを見せ間違いを認める態度にあった、と筆者は分析しています。
2011年3月11日の地震と津波の直後、余震や事故の状況が判然としない中で、増田さんは入手できるデータをホワイトボードに書いて部下に共有するところから行動を始めました。所長の指示のもと対応計画ができ、ケーブルを敷設し始めましたが、しばらく経った時、増田さんは「この計画では間に合わない」と気づきます。ここで増田さんはすぐに自分の過ちを認め、部下に知らせ、話し合って計画を変更しました。新計画に沿って工事を再開すると、今度は2号炉よりも1号炉の方が圧力上昇が速くリスクが高い、という情報が飛び込んできました。増田さんはこの情報もすぐに共有し、1号炉を優先するよう変更を指示しました。危機の中、リーダーが弱さを見せたことで、チームの心理的安全性と結束力を高めた。また、心理的安全性の高い環境があったことで、チームは二度目の方針変更にも対応できた、と筆者は指摘しています。
心理的安全性を上げる3ステップ
本書の終盤では、心理的安全性を高める方法を、①環境を整える、②発言を促す、③異なる意見に対応する、の3ステップで説明しています。ある医療現場の改革事例では、①では「過誤」を「ミス」と言い換えるなど新しい表現を導入する、②では「今週、『私の担当の患者さんたちは安全で良かった』と言える状況でしたか?」と具体的に投げかける、③ではミスを報告すると感謝され、具体策が話し合われる仕組みを運営する、といった手が打たれました。
筆者は「心理的安全性を担保することと、高い成果を求めることは両立する」と強調しています。「心理的安全性を担保することは、ブレーキを外すようなもの」というのです。成果を上げるには、ブレーキを外すだけでなく、アクセルを踏む必要がありますね。アクセルになるのは「業務の要求水準が高い」ことです。心理的安全性は高いが業務の要求水準は低い組織は「ぬるい」組織です。一方、多くの組織が陥っているのは、要求水準は高く、心理的安全性は低い状態。これでは「緊張と不安」の組織になってしまいます。目指すべきは、心理的安全性と業務の要求水準が共に高い状態、すなわち「学習と高い成果が継続する組織」です。
心理的安全性を高める方法に戻りますと、先ほどの3つのステップに共通するのが、実は「共感的に聞く」(listening empathetically)なのです。
「ものが言いづらい組織は、すなわち、思慮深く聞くことができない組織だ」。筆者はこう述べた後、先ほどの原子力安全委員会の事例を紹介しています。本書では、他にも心理的安全性の高い組織の事例として、ヘッジファンドのブリッジウォーター、アメリカで人気のファッションブランド「アイリーン・フィッシャー」、機械メーカーのバリー・ウェーミラーが紹介されています。どの会社も、トップも現場も「聴く」ことを強く意識し、現場でも「聴く」仕組みと組織文化が定着しています。ライドシェアサービスのUber も紹介されていますが、創業者は「セクハラが横行する組織風土の元凶」だということでCEOの座を追われました。後任のダラ・コスロシャヒ氏は「聴く」を改革の中核に置いて、心理的安全性を高めようとしたそうです。
また、チームの心理的安全性を高めたいが、上司の理解を得られない場合には、「周りの人の話を積極的に聞き、興味を持って答えていく」ことを筆者は助言しています。「上長ではなくても、心理的安全性を作るリーダーになれる」と。
「恐れ」から解き放たれれば大胆に行動できる
本書のタイトル“The Fearless Organization”の“fearless”は、一般的には「大胆不敵」「勇猛果敢」と訳されます。でも、ここまで読んでくださった皆さんにはお分かりの通り、ここには心理的安全性によって「異なる意見を表明する恐れ (fear) 、間違いを認める恐れから解き放たれた組織」「それによって大胆に行動する組織」という意味も込められているに違いありません。
執筆者プロフィール:篠田真貴子 Makiko Shinoda
小学校、高校、大学院の計8年をアメリカで過ごす。主な洋書歴は、小学生時代の「大草原の小さな家」シリーズやJudy Blumeの作品、高校では「緋文字」から「怒りの葡萄」まで米文学を一通り。その後はジェフリー・アーチャーなどのミステリーを経て、現在はノンフィクションとビジネス書好き。2020年3月にエール株式会社取締役に就任。
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