私の生きる意味はなんなのか
遺族の生きる意味を考えた。
淡々と過ごす日々に、もう彩りはない。
湧き上がる感情を抑えられないとき。
どうして、そばにいないんだろう。
逝った夫を責め、その感情を持った自分を責めた。
苦しみや哀しみを抱えて過ごす日々は辛い。
ゆっくり進む道もわからない。
でもこのまま立ち止まってるのも嫌。
自分の存在価値はもうないのかもしれない。
後追い自殺を考えて、落ちるところまで落ちてしまった日もあった。
痛いのも苦しいのも嫌で、死ぬ勇気ない意気地なしだから、結局は生きるために動くしかない。
面倒くさくても、怖くても、わからなくても、それが沢山あっても。やるしかなかった。
これからの生活に故人を投影してしまうのは、依存しすぎているのではないかと思うときもある。
自分のための生きる理由も目的も探そうとして疲れ、なにもないことに絶望する。
ただ、私が生きているのは夫を愛している証を証明し続けるのだと、それだけは自信が持てる。
これからも、生きる意味はずっと探していく。