惑う(サラリーマン人生が終わったら何をしようか?という話)
とても素敵なイラストなので本文ごと紹介兼ねて貼らせていただく。(どうも近頃はおやすみなさっている様子…)
50代にして惑う。
今さらなにをか?このnote界隈にいるのは私なんかよりもっとずっと若い人たちが多数。
おばちゃん、いったい半世紀も生きて何を惑う?もう十分生きてきたろう。青い人たちはそう思うだろう。せいぜい
終活か?
……終活については我が親の世代を見ていて少し先だと思ってしまう。
私が惑っているのは今の職場を終わった後まだ何か出来るのじゃないかと思わせる余力がある時代のくること。
その時私には何ができるだろう?何かするために今をどう過ごしたらいいのだろうか?
急に決めたことをしようと思い立って出来るかといえば出来るとは思えない。私にはそれだけの人脈はない、奇跡の様に急にクローズアップされることもない。これだけは自信がある(あまり威張って言えるものではない)。
何かやりたいことが漠然とでもあれば実現化するために逆算して考えて出来ることを行動に移していかないとならない。
……といっても私のできること、やりたいことってなんだろうか?
残念ながらこの年まで目先のことしか考えないで生きてきた。
私のできること、今まで過ごしてきたことでながいことといえば、ひとつの会社で過してきたことくらいか。
結婚したらいきなり主人の会社が破綻した。
途中妊娠し出産し子育てもしてここまできた。(これには私の実家や主人の実家の協力があったからと言える)
若い人たちや経験のない人たちに伝えることと言えばそんなところか。
子供がアレルギー体質で大変だった。
妊娠しても早期の流産や切迫早産・妊娠中毒症・死産などを経験した。
自分が外から作られているとずっと思って人生を演じてきた。それを壊して自分をみつけてきた。
色々な部署に配属が変わり、やっとひとつの部署で10年近く務めたところで、アスペルガーらしき上司と上手く行かず飛ばされ、同期の上司に最低の評価を2年半くらい、このままではきっとクビの対象になるだろうなと思った矢先部長も変わり、仕事の負荷は上がりからだの抵抗力は弱まり体調不良は続いたが会社を辞めないで勤め続けているうちに職場の雰囲気と仕事のボリュームは変わりやっと平穏な日々を送ることが出来るようになった。(案外どうでもいい事だけど長い)
これは今では私の誇りとなっている。
何度も折れそうになりながら、不満で怒りが爆発しそうになりながらも辞める選択をせずにここまで来たのは10年前に出会った師匠のお陰であった。
残念ながら今の私は*リーディングを諦めてしまったが当時は究めようとしたときもあった。確かに出来ていた時期もあったが、自分自身に厳しくなければ俯瞰することも自我の向こう側に意識を向けることも出来ないのだと考えて諦めた。いや、逃げた。続けていても出来ない自分しか想像できなくて逃げた。結局努力が足りなかっただけなのだ。
ただそれだけでそれ以上でもそれ以下でもない。
リーディングなんてできなくたって生きて行けるしむしろこんなこと信じてる私を怪しがる人の方が多いだろう。
家族だって好きにさせてくれているけれど彼らは私のはなしなど聞かない。
だから近所の神社にお参りに行く時も
ナムナム行ってくる
と言って出かける。家では神も仏も同じでナムナムとくくられる。
日本の神様とはつくづく寛容なのだと思う。どう呼ばれたところで怒らない。
話がズレた。
限界は自分で決めて諦めてしまったがそれは一生私のなかでしこりの様に残るものだということも知っている。
人は簡単な方に流れやすい。それは逃げなのだ。逃げたら逃げた自分を受け容れないとならない。一生どこかで後悔を背負いながら生きて行かないとならない。
受け容れずごまかしていればどこかでゆがみが出てくる。だからきちんと受け入れないとならないのだ。
リーディングは諦めてしまったけれど、「からだの声翻訳家®」で習ったことは受け止めて行く。本当はこれを伝えて欲しいというのが師匠の望みだけどからだの不調がこころから来ていて受け容れることで体調が回復していくと言ってどのくらいの人が信じてくれるのだろうか?
西洋医学が主流の世の中。薬には副作用があってそれでもリスクを冒して飲む人たちが沢山いる。
一時的に不調を押さえつけても考え方が変わらないと体調は戻らない。
からだの不調はこころの不調。からだには自己免疫力がある。それと同じようにこころにも自己免疫力はあるのだと思う。考え癖を変えて行くことで不調を取り除いていけることを知って貰えたら嬉しいのだけど…。
そして本当にポジティブな考え方は逃げることを選択するのではなく、どうやってこの場を乗り越えていくか考える力をつけることだ。
出来ないではなく、どうやったらできるだろうか?考えていく思考を学んでいくことなのではないかと思う。
精神論で言っているのではなくて視点を変えて違う角度から物事を考える力を身に付けること。そして被害者意識を持たない考え方になること。
人は強く変わっていける可能性をみなが秘めている。だから変わる努力を続けていける人になって欲しい。続けられなかった私が言って説得力があるとは思えないけれど、それでも私は同じことを言い続けるだろう。
時間だけは一方向にしか流れない。どんなに過去を振り返っても過去の事実は変わらない。でも過去の記憶は変わっていく。
事実と記憶の差は何かと言えば事実は事象でしかないけれど、記憶は自分の主観で作られている。
その時辛かったとしても今の時点から過去をみればもっと違って見えてくる。考え方を変えれば過去の見え方も変わる。自分の感情に固執しないでもっと違う角度でみて欲しい。見え方、感じ方が変わると受け取り方が変わる。受け取り方が変われば感情が変わる。
人はいつだって変われる。変えられるのは自分でしかないけれど。
そんなことを私はこれからもずっと書くだろう。
子供のことや仕事のことで悩む人がいるなら自分のしてきた事を書く。それを続けた先には何があるだろう。何もないかもしれない。それでも今までのブログの様に途中で投げ出さないために、また惑ったら見直せるようにここに書いておく。
※リーディングについては長くなったからまたそのうち説明する。すみません。
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