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【私の街歩き4】子規庵
東京都台東区根岸 子規庵
台東区根津にある『子規庵』に関して紹介します。
<子規庵 概要>
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①1894年 正岡子規が故郷でもある四国 松山より母・妹を呼び寄せ この地に移り住む
②1902年 正岡子規 死去
③1923年 関東大震災により建物の一部が倒壊
④1926年に建物の修復工事を実施
⑤1945年の空襲により建物焼失
⑥1950年に子規の弟子 寒川鼠骨らの努力で建物が再建される
<正岡子規の経歴>
正岡子規は明治に活躍した俳人・歌人で明治以降の近代俳句に大きな影響を与え、生涯で3,000以上の俳句を残しました。
代表作:『 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 』
『 ずんずんと 夏を流すや 最上川 』
正岡子規の名前は、学生時代に日本史の授業で習ったので知っていましたが、その生涯を知ったのは司馬遼太郎『坂の上の雲』を読んでからです。
小説の3人の主人公(秋山真之・秋山好古・正岡子規)の1人でもあり学生時代の面白いエピソードに共感した事に記憶として残っています。
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<感じた事>
子規庵は場所としては上野公園・上野寛永寺から近く、当時は庭から上野の山を望む事が出来たと言われています。
建物周辺は現在の町並みで喧噪感がありますが、建物内は落ち着いた雰囲気がありました。
病にかかりながらも足を伸ばす事が出来ない正岡子規が
左膝を入れて使った机(複製)が置かれていて、『坂の上の雲』でもこう描かれていたなと想像しつつ、しばしの間滞在しました!
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