【展覧会レポート】抱えきれない負の感情を表現すること|ルイーズ・ブルジョワ展@森美術館
六本木・森美術館で「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」が開催されている。
20世紀を代表するアーティストの1人、ルイーズ・ブルジョワ。
名前は知らなくとも、六本木ヒルズの入口付近に設置されている巨大な蜘蛛のブロンズ彫刻は、記憶にある方も多いのではないだろうか。
彼女の70年にも及ぶキャリアを見渡すことのできる展覧会だ。会期は年明け2025年1月19日まで。
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ルイーズ・ブルジョワ展概要
六本木・森美術館で「ルイーズ・ブルジョワ展:地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ」が開催されている。
日本での大規模な個展の開催は、横浜美術館での展覧会以来27年ぶりとなる。
70年にもわたるブルジョワのキャリア全体を見渡す本展は、出品作品の8割が日本初公開作品という、見逃せない展覧会だ。
20世紀を代表する重要な女性アーティスである、ルイーズ・ブルジョワは、1911年にフランスで生まれ、結婚を機にアメリカ・ニューヨークへと移住し、以降はアメリカを拠点とする。
自らのトラウマや葛藤に向き合い、激しくも愛情に満ちた、複雑な感情の表現がその世界観の特徴である。
MoMAで初となる女性アーティストの個展をはじめ、ベネチア・ビエンナーレ、ポンピドゥー・センター、テート・モダンなど、世界中の美術館や国際美術展で重要な展覧会を開催し、世界的にも高い評価を得ているレジェンドといっていいアーティストである。
ルイーズ・ブルジョワ展のみどころ
今回の展覧会は3つの大きなテーマで構成されている。
そこに2つのパートが「コラム」というかたちで挟まれる。3つのテーマと2つのコラムの5部構成だ。
キャリアの初期からの時系列ではなく、テーマごとに作品が並んでいる。
(展示では年表も用意されているので、そちらもあわせてご覧いただくと時系列もわかるようになっている。)
いくつかのテーマと印象的な作品を紹介していきたい。
第1章 私を見捨てないで
最初のパートはブルジョワの母との関係性を中心としたテーマになっている。
この章のタイトルにもあるように、ブルジョワは見捨てられることの恐怖を長く抱えていたという。
この章では妊娠や家族、恋愛、性といったテーマの作品が多くみられ、「母」や「女性性」にフォーカスした内容になっている。
寂しい、見捨てないで、もっと自分を見て、という感情は、特に子どものころには誰しも抱いたことがあるだろう。
母の病気によりヤングケアラーでもあったブルジョワが、飲み込んだ言葉や感情表現が、作品を通じて立ち上がってくるようだ。
まずは、コンセプチュアル・アーティスト、ジェニー・ホルツァーの映像を背景に、ブルジョワの身体の部分をかたどった立体作品が並ぶインスタレーション。
ホルツァーがブルジョワの言葉を用いて、本展のために制作した映像作品が壁を伝っていく。
暗い部屋に低い姿勢で潜む巨大な蜘蛛のブロンズ像「かまえる蜘蛛」。
蜘蛛はブルジョワにとって母を表すものだという。子どもを、家族を守るために攻撃的にもなり、また家族にとっても恐ろしい一面もあわせもつ。
筋肉質で隆々とした脚の造形はぜひ間近で見ていただきたい。
「良い母」は、ピンクの布で作られた跪いた女性の像の乳房から5本の糸が伸びている。糸は母乳を表現しているのだろう。
母が母乳を5つの方向に与えている。
家族に多くを与える姿は、惜しみなく愛情を注ぐ「良い」母にも見え、また家族に拘束され、搾取されているようでもある。
5という数字はブルジョワにとって特別な数字だそうだ。
ブルジョワの生まれた家庭は両親と兄弟が3人の5人家族、ニューヨークで築いた家庭もまた夫婦と子どもが3人の5人だった。
5とは暗に家族を表す数字なのだという。
「カップル」はアルミニウムでつくられた巨大な立体作品である。
柔らかそうにも見える、二人の身体をとりまく金属の流体は、ふれあいながらも、ぶつかり合い、一つに溶け合うことはない。
複雑な二人の関係性を表現しているようだ。
コラム1 堕ちた女—初期の絵画と彫刻
コラム1は、キャリアの初期作品を紹介するパートだ。
その後のキャリアで繰り返し現れるモチーフの多くがすでに描かれており、近年研究が進んでいるそうだ。
家と女性の姿が一体となったシリーズ「ファム・メゾン(女・家)」は、フェミニズムの流れの中で評価が高まっている。
家は女性を守ってくれる場所であり、また女性を縛り付ける場所でもある。
「ヒステリーのアーチ」は男性の身体がのけぞるような姿勢から、体全体で円を描く立体作品だ。
作品は空中に吊るされ、東京の風景を背景に浮かび上がる姿がとても美しい。
「ヒステリーのアーチ」は、ヒステリーの症状のひとつである「のけぞる」姿勢をとる。
女性の病気と考えられてきたヒステリーが、男性にもみられる症状であるという研究結果が発表されたことから制作された作品だそうだ。
第2章 地獄から帰ってきたところ
このパートは、ブルジョワの抱く不安や恐怖、怒りといったネガティブな感情や、葛藤を表現した作品を主に扱っている。
ブルジョワは父親の死後、鬱病を発症し、精神的に不安定となり、制作ができない時期があったそうだ。
その間に精神分析の治療を受け、心理学を学び、自らの心のトラウマと向き合うこととなる。
人の心の仕組みにより深い眼差しをむけた、緊張感のあるパートだ。
特に父親との複雑な関係を軸にした作品は、切実な苦しみや葛藤が見てとれる。
「心臓」は心臓に5本の針が刺さった作品だ。
5は家族のメタファーだとすると、心に突き刺さる抜けない針が想像される。
柔らかで穏やかな愛情だけでは語り得ない感情がみられる。
「父の破壊」は暗い空間に赤い光で照らされる、おどろおどろしい雰囲気である。
一見して、強く伝えたいことがあるのだろう、と思わされる。
この作品は、父を解体して食べるというテーマで制作された作品だ。
暴力的で支配的な父を殺してしまう、という恐ろしい感情と、それを食するという、克服や愛情にも似た感情とが入り混じる、複雑な心理状態が隠されている。
「無題(地獄から帰ってきたところ)」は本展の副題にもなっている。
夫であるロバート・ゴールドウォーターの使用していたハンカチに刺繍を施したものだ。刺繍の文章は「I HAVE BEEN TO HELL AND BACK. AND LET ME TELL YOU, IT WAS WONDERFUL(地獄から帰ってきたところ 言っとくけど、素晴らしかったわ)」。
第3章 青空の修復
最後のパートでは、ブルジョワが抱えてきた様々な困難を克服する姿が描かれる。
ウェブサイトの説明を引用する。
「青空の修復」は、5つの裂け目を糸で縫い合わせ、修復している。
裂け目の向こうには青い空の色が見える。
母親がタペストリーの修復を生業としていたことからも、糸で修復することはブルジョワの大切な表現だったのだろう。
「トピアリーIV」では、青い実をつけた木と少女像が一体となり、失った脚を松葉杖で支えている。繊細でありながらも、不思議な静謐さと安定感が感じられる。
抱えきれない負の感情を表現すること
見捨てられることへの恐怖、女性性への違和感や、家族の問題、恋愛関係、父との確執、鬱病の経験など、自らの葛藤やトラウマに真摯に向き合い、生み出された作品は、とても正直に見える。
もし自分に芸術表現がなければ、誰かに対して攻撃的になってしまっていたかもしれない、ということも記していた。
社会的で、良識のある人に見えても、内面には子どものような寂しさや不安を抱えているものかもしれないと思う。
今回の展示作品は100点を超える。とてもすべてを紹介しきれないので、ぜひ会場で見ていただきたい。
誰しもが持つネガティブで抱えきれない感情を、ブルジョワの作品を通してそこに見ることができるだろう。
最後までお付き合いいただきましてありがとうございました!
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