意見|キングオブコント決勝における、観客・審査員の性別の偏り
10/21に開催・生放送されたキングオブコント2023決勝について、観客・審査員の性別の偏りに関する問題提起がTwitter(X)でなされていた。
このツイートをめぐって、さまざまな意見が飛び交っていたが、中には「それは違うのでは…」と思うものも見られた。この記事では、わたし自身の立場を示した上で、元ツイートに寄せられた批判や非難に対して反論していこうと思う。
今回の論点
元のツイートには以下3つの論点があると思う。
①:観客が女性だけである点
①':その観客が同じTシャツを着ている点
②:審査員が男性だけである点
今回は①と②について取り扱うこととする。①' は、①と合わさった時に①の問題点を更に際立たせる要素であり、①' 単独では問題にならないと思ったためだ。(よって別の番号ではなく ①' とした)
そして、①と②はいったん別々に考えることとする。この2つは問題として重なっているものの、①のほうが深刻で、②には一応正当性があると考えているからだ。そんな2つをまとめて批判すると、②に関する擁護の声が①にも向けられるかもしれないので、それを避けるために分けて考える。
わたしの立場
①:観客が女性だけである点
→明らかに問題なので、次回からすぐに是正してほしい
②:審査員が男性だけである点
→理由は理解できるが、ぜひ再考してほしい
観客が女性だけであることの問題点
念のため前置きをすると、観客がいること自体に異を唱えているわけではない。お笑いというものはそもそも観客がいるもので、仮に審査員だけにネタを披露するとしたら、演者も本調子を出しづらいだろう(緊張で本調子が出ないことも往々にしてあるだろうが)。では観客を入れるとして、なぜそれを女性(しかも見た感じ若めの方々)に限定する必要があったのだろうか。
女性に限定することで制作側がどういう状態を生み出したかったのか想像してみる。おそらく制作陣が思うところの「見栄え」をよくしたかったのだと思う。MC1人でも進められそうな番組でなぜか「女子アナ」(女性アナウンサー)がMCのそばに立っているのと同じようなことだ。「女性は添え物として場に華やかさを提供すべき」という価値観(無意識かもしれないが)が透けて見える。女性にそうした役割を押し付けるのは、それ以外の役割や方向性でやっていきたい女性の主体性や行動を抑圧しかねない。念のためだが、観客というものは添え物になる、ということを言っているのではない。真っ当な理由が無いのに観客をあえて女性に限定するのは、今までのように女性を添え物として見ているからなのではないか、と懸念している。
そしてこの様子がテレビで放映されるというのも悪影響に思える。様々な人が様々なところで無くそうと尽力している性別役割分業を一部分で再生産してしまっている。これを見て「女性は添え物なんだ!」と初めて思いつく人はさすがにいないだろうが、なんとなくそうかもと刷り込まれる人はいるかもしれないし、こうした女性の扱い方に不満を持ってきた人が「またかよ…」とげんなりすることくらいは想像してもらいたいと思う。
また、現場で観覧できない男性に対して差別的であるとも捉えられる。この観点からも、あえて女性に限定する必要は無い。ただし注意したいのは、このことでもって「だから女性に対する差別ではない」とは言えないことだ。女性は添え物的役割を押し付けられ、男性は観覧の機会を与えられないという、それぞれ別々の望ましくない状況になっているのであって、どちらも回避すべきだ。
審査員が男性だけであることの問題点
審査員が男性だけで占められていることも、「男性こそが審査(という大会の根幹となる営み)に関われる」といった、男女の役割に関するアンコンシャスバイアスを助長するおそれがあるので、ぜひ再考してもらいたいと思っている。一方で、審査員については、観客とは異なり一定の正当性もあるように思う。
審査員というものは、その道に精通した人が務める傾向にある。おそらく、経験者だからこそ審査できる、多くの人がその審査に納得感を持てる、といった理由からだろう。キングオブコントの審査員もその例に漏れず、ダウンタウンの松本人志と歴代の優勝経験者で構成されていた。何か客観的に測定可能な審査基準があれば、必ずしもお笑いに関する経験が無くても、その基準に忠実であることが審査の説得力につながる。しかしお笑いにそういった基準を設けることはおそらく不可能なため、経験者から選ぶのが妥当だろう。また、更にその中でも優勝経験者が審査員を務めるからこそ、大会として格や質を保てているという面もあるだろう。
今回の場合、その優勝経験者が男性のみなので審査員も男性のみになっている、という考え方ができる。なにも「女性ではなく男性が審査すべき」というような性差別的な考えに基づいているわけではなく、たまたま審査員になる資格を持っているのが男性だけだった、という具合だ。
たしかに筋は通っているが、個人的には「あえて女性も審査員に起用する」という段階に移行すべきだと思っている。
お笑いの世界では、女性が「女芸人」と呼ばれるくらい、女性は数的にも見られ方的にもマイノリティなのだと思う。そういった状況の中では、審査する側に立つ資格を過去の優勝実績のみに限定すると、女性がマイノリティになっているその状況がいつまでも変わっていかないように思う。仮に何かの優勝経験が無くても、独特な視点によって審査にいい意味で幅が出て面白くなるという可能性は大いにあるのではないか。これは「女性ならではの」という岸田文雄的なことを言いたいのではなく、「男社会でサバイブし、さらには笑いを生み出してきた」というその人ならではの経験や感性が審査の一部として加わるのは面白いのではないか、ということだ。
こうした幅の広がりは、もちろん草の根的に発生することもあるが、キングオブコントのような有名な大会側が変わることによっても、ぜひ発生してほしいなと思う。いい例が思い浮かばず雑なたとえにしてしまうが、「野球で指名打者制が導入されたことで、守備に難はあるが打撃が得意な選手の活路が広がった」みたいな感じ。「キングオブコントが女性の審査員を起用したことで、今までだったらあまり評価されなかったタイプの演者に面白い審査コメントがなされて話題になり、その後活躍の機会が増えた」みたいな。こう書いてみるとそうそう起こらなさそうではあるが、ここまでは行かなくとも、「経歴や芸風、そして性別(更には他の様々な属性)がバラバラで、お笑いにおいて何かしら実績があるという点だけは共通している人たち」が審査するというのは、けっこう面白いものになる気がしている。
批判や非難への反論
ここからは、元ツイートに対してなされた批判や非難に対して、自分なりに反論していく。なお、その対象を恣意的に選ぶことが無いように、元ツイートの引用リツイートのうち、元ツイートに賛意を示していないものを上から順に取り扱っている。わりかし「いいね」が多いものが並んでいるように思う。
ただし、この「上から順」というのが、タイミングやユーザーによって異なる可能性があることには留意されたい。
また、代表的な意見はある程度取り扱えたかなと思ったタイミングでやめており、結果7つのツイートに対して反論している。
1つ目
「自分で望んでこの場にいる女性たちではないのかね」とのことだが、元ツイートは女性に関して、「この女性たちがここにいる」ということを問題視しているわけではなく、「観客が女性のみに限定されていること」を問題視している。よってこのツイートの指摘は的外れである。「フェミニスト」を否定したいという気持ちありきなのではないかと邪推してしまう。
2つ目
「女さんが誰一人『面白くない』のが悪い」とのことだが、その「面白い/面白くない」の尺度が、日本のお笑いにおいては男性を中心に構成されてきたということを考慮する必要がある。
「そのくせ」以降は、元ツイートでは特に何も言われていない恋愛の話へと勝手に移行させて、しかも女性側をひと括りにして暴論を展開している。あえてここの内容をいったん受け止めてみると、「女性は男性の話を面白くないと文句を言う」という偏見がこのツイート主の中で形成されるほどに、このツイート主の周囲では、男性の話が女性にとって面白くなく、それについて女性が文句を言うという事例が積み重ねられているということになる。会った女性に文句を言うタイプの人が多かったのかもしれないし、男性の話がいつも面白くなかったのかもしれない。
3つ目
「男性は意地を張って笑うのをわざと我慢する事がある為・男性の低い声より女性の声の方が耳心地がいい為」とのことだが、何かしらの属性と、その行動や性質を安易に結びつける言説は差別に直結するためかなり危うい。それにどちらも、特に根拠の無いものである。
また「過去に男客の奇行や迷惑行為があった」とも述べているが、その理由を「男性である」という基本的には変えられない属性に求め、同じ男性を一律で排除するのはこれまた差別に直結する考え方である。
4つ目
これは元ツイートへの反論ではないが、「お笑いファン」の空気感が時に有害であることを示す好例だと思い、飛ばさずに取り扱っている。元ツイートを利用して、お笑い的に気の利いたことを言ったつもりでいるのかもしれないが、真剣に問題提起しているこのツイート主に見えるかたちで、「興味が勝つ」と臆面も無く言えてしまうのは、モラルが麻痺しているように思う。
5つ目
「みなきゃいいのでは…?」とのことだが、元ツイートは、この状況に顕れている制作側の無理解や、これが放映されることによる悪影響を案じているため、「みなきゃいい」で済まされる問題ではない。
また、「人間の心理的なもので女性をみてる方が男も女も心地よく感じる」とも述べているが、根拠は特に示されていない。もし仮にそれが科学的に正しいという主張があるとしても、その考え方によって抑圧されうる存在が想定できる以上、その考え方を理性で乗り越えていくのが現代的な姿勢なのだと思う。
6つ目
おそらく「どうやっても文句言うんでしょ」ということをいい感じに言いたいのだろうが、2つ言いたいことがある。
まず「女性だけの場合→なぜ女性をマスコットのように…」「男性だけの場合→なぜ女性を排除するのか…」については、「→」以降の主張はひとつの意見として尊重されるべきもので、別の真っ当な意見を対置して批判することはあっても、揶揄してはいけないということだ。ただこれは、ツイート主が揶揄のためにこう書いているとは限らず、単に様々な可能性を想定しているだけかもしれない。
2つ目は、「男女混合の場合→なぜ女性の隣に男が… 配慮が足りない…」についてで、元ツイートにはこれに類する言及は無く、ツイート主の妄想である。こうした妄想をしてしまうほどに、このツイート主の周りの男性は普段から、女性の隣に座るだけで迷惑がられているのだろうか。
7つ目(ラスト)
「女性と男って言ってる時点でお前が一番この時代にそぐわない」とのことで、このツイート主は「男」「女」という呼称を「この時代にそぐわない」と認識している。この意見にはわたしも共感している。なぜなら、これらの表現はどこか乱暴な響きがするし、これらの性別の人々をまるでモノのように扱っているからこそできてしまう表現に聞こえるからだ。
しかしそれであれば、元ツイートの人のことを「お前」と乱暴に呼んでしまっているこのツイート主もまた、時代にそぐわないことになってしまう。
また、これは予測にすぎないが、元ツイートの人は、男性優位の社会に対してもともと何らかの怒りを抱いていたのが滲み出て「男」と書いたか、もしくは男性優位の状況に対して問題提起するツイートだからこそあえて差をつけて「男」と書いたかのどちらかであって、普段から「男」と乱暴に呼んでいるわけではないのだと思う。
おわりに
元ツイートに対する反応をいくつか紹介してきたが、「元ツイートを否定したい」という気持ちありきに思える都合よい解釈や、余計な揶揄、不適切な物言いを含んだものが散見され、これらは引用リツイートの中でも比較的多くの「いいね」を集めていた。(もちろん、取り扱っていないが賛意を示す引用リツイートも同じくらいあり、その中にも多くの「いいね」がついているものはあった。)
特に観客については、女性だけで固める意義が本当によくわからない。なので、元のツイートをひとつの意見として受け取って「確かに老若男女が見てていいはずだよな」とはならず、むしろ非難や揶揄を込めたツイートがけっこうあることに驚いた。
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