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約10日間の自給自足に近い実家生活が終わった…


実家は専業農家。
祖父も早くに亡くなり、私を含めた娘3人は結婚し家を出たため、今は父母2人で営んでいる。

5月は収穫期、一年暮らすための収入を得る時期。
母が急遽入院することになり、私は学校へ行っていない息子を連れて帰省した。

母は病院に任せるとして、母の代わりに農作業を手伝うために帰省した。

とはいえ、素人。出来ることは、父が収穫してきた野菜たちを、それぞれ計り、袋に詰め、閉じ、シールと値札を貼ることくらいだ。


昔私たちが小さかった頃は、ドンとまとめて市場に出荷すれば良かったが、今は個人で道の駅に売りに出している。CtoCだ。父の名前の入った値札が付いた野菜は人気らしい。
随分と時代は変わったと感じる。

しかし、丹精込めて作ること、気候に左右されること、体力勝負だということは変わらない。
そして野菜の生育は待ってくれない。

後継ぎ不在では、IT化(機械で気温を自動管理さしたり、ネットで野菜を販売したり)は対応できない。昔ながらのアナログなやり方で、最低限だけ世の中の流れに何とか順応する。

70代2人、職人肌で植物を育てるのが好きな父には残念ではあるが、老いと後継ぎ不在の現実を受け入れながら、希望を縮小しながら、店じまいをしていくしかない。

滞在中、野菜をお店で購入することはなかった。だいたいの野菜は家にある。むしろ、形が悪かったりで売れない野菜が毎日のように台所や作業場にたまる。
食べても食べてもたまる。

トマトやきゅうりは、採れたてを丸かじりするのが醍醐味だ。たがさすがに飽きる。アレンジも面倒だし飽きる。贅沢な話だ。

何度か、うまく農業を継ぐことは出来ないだろうか、遠隔でネット販売をやれないだろうか、と、色々考えたてみた。
私の夫も「お父さんの美味しい野菜を育てる技を何かビジネスに繋げられないか」と模索もしてくれた。

が、やはり片手間では無理なのだ。

ダラダラと長く書いてしまった。話が逸れまくった。とにかく、生まれて育った自然に囲まれ、一人黙々と、時に姉妹とダベリながら、野菜を袋に詰めまくりながら「生きること」「食べること」「働くこと」そして「家族とは何か」を漠然とだが考えることとなった。

私は間違いなく幸せな環境で育ったのだろうなと改めて思った。

息子目線だと「非日常」だか、私には「かつての日常」なのだ。せっかく袋詰め作業に慣れたし、ずっと手伝っていたかった。

息子が「都会に帰りたい」というので、母の退院と入れ違いで戻ってきた。姉が少し残ってくれたが、色々心配だ。あとは祈るしかない。

そして今日も貰ってきた野菜を食べる。「どうか無理していませんように」と祈りながら食べる。





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