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「秘密基地」と「ネットリテラシー」
子どもには子どもの ワクワクする世界がある。
私にもあった。
いや、今でもある。
他人には簡単に説明のできない、したくない、大切な世界がある。
一人で映画を見に行ったときに、夫から「何見てきたの?」「面白かった?」などと聞かれるのが嫌だ。凄く嫌だ。本当に嫌だ。
夫は、何気ない夫婦の会話くらいに思っているだろうが、自分の大切にしている時間や感じた事を根掘り葉掘り聞かれたくないし、聞かれても簡単に説明出来ないから困るのだ。
だからパンフを見せて「良かったよ」でだいたい終わらせる。だからなるべく夫に気付かれないタイミングで行く。
一人で行く映画館と大好きな川沿いが、今の私の秘密基地なのだ。そしてこのnoteもおそらくそう。
田舎で育った私の 小学生時代の秘密基地は、「藁の束が山積みになった倉庫」や「堤防の行き止まりの川原」や「ゲートボール場横の廃虚」や「友だちんちの裏山」だった。
大人の知らない、大人に知られたくない、ワクワクする場所。一人や友だちと行く秘密の場所。子どもだけの秘密の遊び。
今思えば鼻クソほどのしょーもない遊びだったが、大人なしでの遊びは猛烈に楽しく、今でも鮮明に思い出せる。あの頃のワクワクの数々。
息子は今日、冬休みの終わった学校ではなく、「どっか行ってこようかな」と出かけて行った。
ネットという秘密基地で出会った友だちと、共通の趣味である鉄道に乗り、秘密基地に行った。(たぶん。)
根掘り葉掘り聞かない。
「知らない人について行ったらダメ」
「山は暗くなったら危ない」
「川は流されたら終わり」
「火はすぐに燃え広がる」
「口があるんだから困ったら人に頼ればいい」
そんな大人たちの教えを胸に、危険を回避しながら小さな冒険を繰り返したものだ。
「ネットには個人情報を絶対に載せてはダメ」
「ネットで知り合った人と簡単に会うのは危険」
「ネットには危険がたくさん潜んでいる」
「歩きスマホは危ない」
「デジタルに頼り過ぎは良くない」
「困ったら駅員や交番や近くの大人に助けてもらえばいい」
「何かあったら報連相するように」
時代や環境は変われど、親が子どもに教える根本は同じではないだろうか。
「生きとし生けるもの」として、命を脅かす危険を察知し回避しながら生きる。生きるために食べる、食べるために働く。そして子孫を残す。
何が危険か、親が教えながら 子どもは小さな経験を重ねながら学んでいく。学校が自分にとって危険と思えば回避する。
安全・安心を確かめながら、親の愛を胸に、小さな世界から広い世界へと冒険に出る。そして広い世界で生きていく。好きな場所で生きていく。
そう考えると、子育てというものは超シンプルなものかもしれない。だから、学校でなくとも、覚悟を決めて笑顔で送り出す。
「いってらっしゃい!!」