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子どもに「正論」はいらない


私は、昔から人の話を聞くのが得意だった。
割といい聞き役だった。

たぶん、自分の感情や意見を一旦抑えることができるから相手が話しやすいのだろう。

たぶん、根底に「人間って色んな人がいて面白い」という人への興味があるから、想像しながら人の話が聞けるのだろう。


友人や姉妹のあらゆる話を聞き、そうかそうか、それは良かったね、そうかそうか、それはしんどいよね、と共感し、寄り添い、励ました。

同僚や先輩後輩のあらゆる話を聞き、そうかそうか、それ凄く分かります、そうかそうか、あの人難しいよね、と共感し、寄り添い、共に解決法を考えた。


そんな私だが、息子にはそれができていなかった。

子育てを冷静に振り返ったとき、恐ろしい程にできていなかったことに気付いた。

息子が自分のことは自分で出来るようになった頃から、息子の、特にマイナスな感情から出る言葉や行動に対して、全く共感してやれていなかった。

むしろ、息子が放つ負の感情が苦手だった。

息子の感情によって、それより強い自分の感情が溢れてくるからだろう。
(これについてはまた改めて書いてみよう。)

共感して寄り添うどころか、マイナスな感情をプラスな感情に変えようと、すぐに「正論」で返していた気がする。自分が正しいと思うことばかりを喋っていた気がする。
「正論」によって息子の感情を否定してしまっていたように思う。

痛みや苦しみを訴え、それを「お腹が痛いのか、よしよし」と受けとめ、手当をしてもらえる関係の中で、子どもたちは、「自分が自分であって大丈夫」という安心を得て、自分で自分に「よしよし」ができるようにー自分が苦しくなった時に自分に向き合うことができるようになるのである。

「悩む心に寄り添うー自己否定感と自己肯定感」高垣忠一郎


マイナスの感情だからこそ、家族が、大人が、受け止めてあげないといけない。

正しいとか、間違っているとか、こうした方がよいとか、そんなことは二の次だ。
本人が生きていく中で学んで見つけていけばいい。


愛するわが子だからこそ、毎日一番近くにいるからこそ、意識して自分の感情や意見は一旦抑える必要がある。

他の人にするように、程よい距離で、共感し寄り添いたい。じっくり話を聞きたい。

どんな感情も認めてやりたい。

どんなわが子も受け入れてやりたい。


ゲームをやり過ぎて「疲れた〜〜!!」と言う息子に、私は「お疲れ〜〜!!」と言えるようになった。

「親なら子どもがゲームをやり過ぎないように注意しなさい!!」という正論も、今はいらない。




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