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映画『市子』
この作品は、監督である戸田彬弘氏が作・演出を行った舞台「川辺市子のために」を映像化したものらしい。
いつの市子も市子であり、一人の人間の奥深さを感じながらも、人は、どこで、誰と、どのように生きるかで作られていくのだと、自分の人生を振り返らざるを得ない作品だった。
偽りが多い世の中で、いつの時代も確かな他者を見つけるのは困難です。 多くの他者から見える印象で一人の人間を見つめ、見えてきたものとどう向き合うか。 それが現実的な他者との距離であり、接点だと思っています。
思えば、一緒に住んでいる夫のことすら 出会う前のことは良く知らない。夫本人や、親戚たちから聞く話の範囲でしか知らない。
なんなら、職場での夫のことはよく知らない。
生まれてからずっと見てきている息子でさえ、学校などの外では、何をして どう感じて どう振る舞って過ごしているのか、僅かな情報から想像できる範囲でしか分からないのだ。
そう考えると、私の全てを知る人は、私以外に誰一人としていない ということでもある。
自分が思う私と、今まで出会った人やこれから出会う人から見る私は、きっと同じではない。
でもどれも私なのだ。
どんな自分も大切にしたいと思った。
そして、高垣忠一郎氏の本で読んだ「内面的資産」の話を思い出した。子どもが家で過酷な思いをしている作品を観ると必ず思い出すのだ。
愛情という「資産」に格差があるという問題だ。
目に見えにくい「負の内面的資産」を負わされ、努力するにも、誰かに頼るにも、困難を抱えている人がいる、という話である。
多くの市子がいることを知り、もし市子に出会った場合は向き合いたいと思った。
重たい場面もある作品だったが、演者は実力者ばかりで文句なし。賛否や好き嫌いが出る作品だろうが、私はそういう作品に出会うことも好きだ。